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「800字文学館」

亡国の安倍内閣 その二 沖縄

大越 浩平

 安倍自民党総裁は「4月28日を『主権回復の日』と祝う式典」を行うと公約に掲げた。総理になり「祝う」を「記念」に変え式典を行った。

 1946年、連合国総司令部(GHQ)は沖縄、奄美群島等を、日本の行政から分離すると宣言、島々は占領下に置かれた。
 敗戦後、海兵隊の基地は沖縄でなく、山梨、神奈川、岐阜、大阪、奈良などの本土だ。講和条約が発効した52年前後は、米軍基地面積の割合は本土が90%、沖縄は10%程度。しかし、本土の反基地運動の結果、海兵隊は米軍統治下の沖縄に移り、本土の負担は減り続け、基地面積の24%が本土、沖縄の基地は74%と膨張する。
 沖縄は米政府の発布した土地収用令により、地主の同意なしに土地権利を取得、立ち退き命令で基地建設。米兵の暴行は後を絶たず、米軍機墜落も治外法権で日本国に原因追究はできない。
 沖縄人は1952年4月28日講和条約の発効の日は、沖縄が日本から捨てられ、米軍の施政下に置かれた日であり、「日本政府が沖縄を切り離した日」「屈辱の日」であると宣言する。
 沖縄の祖国復帰の願いは1972年迄待つ。復帰で県民は「平和憲法の恩恵が受けられる」と期待した。地元紙が2012年本土復帰40年を機に実施した世論調査によると「復帰してよかった」と答えた県民は、長く重い基地負担の歴史なかで80%にも上った。
 安倍総理は「主権回復の日」で沖縄人の心を逆なでし、日台漁業協定では沖縄の漁場にも関わらず、沖縄の頭越しに締結し、普天間の県内移設を促進し、辺野古の埋め立てを申請する。

 天皇陛下は9回訪沖している。2003年12月の記者会見では「沖縄復帰は平和条約が発効して20年後です。日本人全体で沖縄への理解を深めなければなりません」と語る。
 式典ではその陛下の前で「天皇陛下バンザーイ」と叫ぶ自民党議員の声に、安倍総理は万歳三唱した。

 戦中戦後の沖縄の歴史に思いをはせぬ安倍内閣に、日本、沖縄の政治を担う資格はない。

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