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「800字文学館」

お先にどうぞ

内藤 真理子

 能登半島に行った帰り道、遠廻りをして高山の町を通ることにした。
 一昔前のことである。当時は、高速道路が無くても若さがあった。とは言え、高山に着いたのは、夕方の5時過ぎ。
 土産物屋は、店じまいの支度を始めている。私はあわてて、町の中心を流れる宮川にかかる赤い橋をバックに、写真を撮っただけで車に乗りこみ、急いで平湯まで行った。
 ここから安房峠を越えて、松本まで出なければならない。
 後ろから来た乗用車が、同じ道に向いそうだ。松本ナンバーを確認して、車を脇に寄せる。
「お先にどうぞ」ウインカーで合図をする。
 後ろの車は、ハザードランプをパカパカさせながら、追い越してゆく。
 これからが正念場だ。ほとんど暮れてしまった山道を、追い越していった車の、テールランプをたよりに、山越えをしようという心づもり。
 前の車は慣れた道とみえ、40キロから50キロのスピードで、ぐんぐんと曲がりくねった山道を走る。何分もしないうちに、あたりは真っ暗闇。両脇の木がヘッドライトでゆれて、まるで大入道が、両手を広げて身体をくねらせているように見える。ちょっと油断をすると、前の車が、はるか先のカーブをまがって見えなくなってしまう。
 切り立つ崖や、やっと通れる細い道、危険がいっぱいの山の中で、次のカーブの先はどんな道なのか、さっぱりわからないが、〝エイ〟とハンドルをきる。
 よかった。テールランプが前を走っている。
 じっと見ていると、親近感がわいて来て、たくましい男性の背中にも、つかず離れず、気を引きながら、お尻をふっている女性にも見えてくる。
「待ってぇ、おいて行かないでぇ」

 気がつけば、松本までは、あと一歩、新島々の、街灯のともったアスファルトの国道にたどりついていた。
 真っ暗な山道の、満天の星を見ることもなく、夜行性の動物の息吹も感じないで、ただひたすら、テールランプとドライブをしていたのだ。

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