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「800字文学館」

上高地散策

大月 和彦

 梅雨入り前のある日,昔の職場の山仲間十数人と信州の鉢伏山に登った。麓の温泉で泊まった翌日、かつて山の往還に幾度も立ち寄った上高地へ足をのばした。
 平均年齢72,3歳ぐらい。補聴器、介護度、脳梗塞、前立腺などの言葉が行き交う貸し切りバスが、釜トンネルを出て穂高連峰が現れると急にしゅんとなった。山の霊気に打たれたからだろうか。

 ウェストン祭が終わった後で、河童橋付近はツアーのリボンをつけた人達で溢れていた。
 小梨平から梓川の左岸を歩き出す。コナシ(ズミ)がピンクの蕾をつけ、芽吹きのケショウヤナギとカラマツがけぶり、上高地は遅い春だった。
 平坦な砂地の道が続く。
 右手にそびえる六百山と霞沢岳から流れ出す谷川を渡る。流倒木が横たわったままの自然の状態。水は澄み、川底の砂地が透けて見える。何故か青っぽい。
 所々で左手が開け、梓川の清流に近づく。
 コメツガ、シラビソ、カラマツなどの樹林が続く。道端にニリンソウが群生し、白い花が咲き乱れている。

 ゆっくり歩いて一時間で明神池に着く。
 昭和の初め釜トンネルが開通するまでは、標高2100mの徳本(ごう)峠越えが上高地への唯一つのルートで、峠道の終点明神池が一帯の中心地だった。この隔絶された別天地にやって来るのは、いわな漁、放牧、林業などに携わる地元の人々と少数の登山家だけで、神河内の名称にふさわしい地だった。
 穂高神社の奥宮が鎮座している。英国人宣教師W・ウェストンのガイドを務めた上条嘉門次の小屋は今も営業している。

 ここから見上げる明神岳は圧巻だ。切っ先のように空に向かう岩壁、急斜面にへばりつくテラスはお花畑だろうか。何人もの遭難者を出した沢や岩壁は人を寄せ付けない峻険さを見せている。
 焼岳、六百山、霞沢岳など穂高連峰の前衛の山々が樹林の間から時々姿を見せる。穂高の陰にあって脇役を果たしているが、それぞれ相当の高さと独自の山相を持つ独立峰をじっくりと眺めることができた。

ある小説家が日本一の遊歩道だと賞賛したこの道は変わっていなかった。

(13・7・10)

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