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「800字文学館」

ママさんランナーの復活

松谷 隆

 今年4月25日に、8月のモスクワ世界陸上大会のマラソンと競歩の代表選手が発表された。が、21日のロンドンマラソンで、3位で表彰台に上ったママさんランナー赤羽選手の名前はなかった。
 その発表直前に、クラブで発表したエッセイに彼女の落選を予想したのが、不幸にも的中した。というのも、日本陸連が4日前に「5名派遣」を「モスクワで戦える選手3、4名に限る」と方針変更したためである。
 夫の周平コーチはブログで、落選を冷静に受け止めたようすを示していた。が、本心はあの小出義男監督の「選手の心境を考えない無謀な方針変更」と陸連を批判したことで慰められたのでないか思う。
 さて、落選後周平コーチはどうするかと見ていると、「赤羽選手は6月の日本選手権の5千、1万㍍への出場を目指す」と宣言した。5月18日、東日本実業団陸上競技大会の1万㍍に出場した彼女は、6位で標準記録を切れず、翌日の5千㍍でも9位で、日本選手権に出場できなくなった。

 しかし、その2日後、努力している彼女に救いの手が伸びた。それは7月7日のオーストラリア・ゴールドコーストマラソンに、公務員ランナー川口選手を含む5人とともに彼女が招待されると発表された。
 この時期、今後の目標や練習方法も決まっていなかったようである。例年の菅平など高地での合宿もやめ、栃木県の地元での練習に切り替えていた。またマラソン練習では不可欠とされている30㌔以上の走りもせず、左右の靴底の減り方の違いから、フォームの乱れを見抜き、その矯正に集中したという。
 レースの目標は「20年前の大会記録2時間29分29秒を更新しての優勝」とのことだった。が、その結果には驚いた。なんと大会記録を2分12秒更新し、②位を2分半も離すブッチギリの優勝だ。目標達成に脱帽である。
 後がなかったに違いない。開き直っての基本に戻った練習の成果にバンザイだ。これからも安定したフォームでの彼女の走りが見られるのを楽しみに。

(25.7.10記)

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