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「800字文学館」

ニーチェとヴェネチア

平尾 富男

 モーツアルトが三度目のイタリア旅行でブレンナー峠を越えた。そして作曲したのがミラノ四重奏曲。後のウィーン四重奏曲に先駆けた弦楽四重奏曲六作品である。神童は弱冠十六、七歳だった。ナポレオンやベートーベンが生まれる直前の一七七二、三年であった。

 十八・十九世紀のヨーロッパの多くの芸術家たちが、この峠を超えて陰鬱な森の中を出て南の明るい空に惹かれるように、イタリアに入った。
『イタリア紀行』を著したワイマール国宰相のゲーテを始めとし、十六歳のときにナポレオンのイタリア遠征に従軍し、以後終生イタリア礼賛者となって『イタリア年代記』を書いたスタンダール。その他ワグナー、ニーチェ、トーマス・マン等々、綺羅星のごとき文学と音楽の巨人たちを数えることができる。
 中でもニーチェはヴェネチアを大いに愛した。十歳の頃から詩を書きピアノを弾き、作曲さえもしていたという狂気の哲学者の詩には、孤高の精神に宿る寂しい至福の響きがある。
 痛ましい進行性神経麻痺の症状に苦しめられる直前に、訪れたヴェネチアの大運河(カナール・グランデ)に佇んで「ヴェネチア」を詠む。

橋のたもとに 私は立っていた
鳶色の夜だった
遠くから歌が聞こえた
黄金色のしずくが盛り上がり
さざ波のおもてを遠く走った
ゴンドラと ともしびと 音楽と……

 この詩の中には、「神は死んだ」と断言した哲学者の頭脳を苛んだ孤独な精神とは程遠い詩人の心が生きているようだ。

 二十世紀最後の年にヴェネチアを訪れたわたしも同じ場所に立った。空も海も、空に浮かぶ雲までもが、黄金色に染まる夕暮れの水面に映っている。都の妖しい美しさに、過去の偉大な文人たちが抱いたであろう感情にしばし浸っていた。
 観光客がいなくなった船着場の磨り減った石畳と木杭には波が打ち寄せる。長方形のサンマルコ広場には、ねぐらに帰ることを忘れた大群の鳩が乱舞する。
 そんな風景が、わたしと同様にニーチェの心を高揚させたに違いない。

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