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「800字文学館」

佐屋街道歩き

清水 勝

「この暑い中を街道歩きとはご苦労なことだな」
「日傘をさして、リュックを背負って、首にタオルを巻いて歩くなんぞはバカじゃないの」
 そんな声が聞こえそうな猛暑の7月下旬に、我ら4人は『佐屋街道』を歩いている。名古屋の宮宿(熱田神宮)~佐屋宿まで25㌔程を一日半かけて歩く。
 地元の人にも馴染のない『佐屋街道』とは、旧東海道の宮宿と桑名宿を結ぶ海上航路『七里の渡し』を避けるための陸路なのだ。佐屋宿からは佐屋川(現在は廃川)を利用して桑名に至る。商用、伊勢参り、参勤交代の大名行列、そしてオランダ商館のシーボルトもこの道を通っている。
 途中には「伝説 源義経弓掛松跡」という石碑や「明治天皇御駐蹕(おんちゅうひつ)之所碑」がある。印象的なのは「五(ご)女子(にょし)の一里塚」(名古屋市中川区)と「七宝焼の原産地道標」であった。五女子のみならず、かつては一女子村~七女子村まであったという。裕福な家に七人の娘がいて、それぞれ近くの村に嫁がせたところ、いずれも子孫が繁栄したことから村の名前として残ったらしい。七宝焼きの方は海部郡七宝町、美和町、甚目寺町の三町が合併して、郡の名前を平仮名にして「あま市」になったようだ。
 暑い暑いと言いながらも「さや船場道標」を見て、いよいよ佐屋の街並みとなり「佐屋代官所址」「佐屋三里之渡趾碑」でゴールとなった。
 これで旧東海道完全踏破と思いきや、まだあるという。
「ウーどこ?」
 それは『矢倉沢往還』。江戸赤坂御門から足柄峠を経て沼津宿までの道だ。江戸からの大山参詣道であり、富士参詣の道としても利用された。これまた旧東海道の脇街道として、駿河、伊豆、相模からお茶、干し魚、煙草などの物資を江戸に運んだという。
 こうなりゃ、京街道・姫街道・佐屋街道に続き旧東海道の完全・完璧歩きを目指し、暑さなんかを吹っ飛ばして『矢倉沢往還』に挑戦ダ!
「もの好きな人」と言われようが、ここまで来たにゃ止められません。

2013.8.8(800字)

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