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「800字文学館」

ガーリック

中村 晃也

 私は海外出張のたびに、研究所のスタッフを連れて行くことにしていた。連れて行って貰った研究者達の悩みは、事業部長(私)の有名な教育的指導を受けることであった。その上司の目の前で、自力で日本の自宅に電話をかけさせられるのである。
 昭和六十年代の国際電話はダイヤル自動ではなく、ホテルの交換手に日本の電話番号を告げてつないでもらう。先ず交換手との会話に一苦労し、電話がすぐに繋がらない場合に「コールユーバック」とか「ホールド・ザライン」といわれてもどうしていいか分からないのだ。

 苦労のあとの、町での夕食は楽しい。特にスペインでは、夕刻になると路地の両サイドの店がテーブルとイスを持ち出し、路地全体が臨時のオープン酒場に一変する。ピカソの絵にあるような星空の下での、地中海の小魚のから揚げとか南蛮漬け。鰻の稚魚のオリーブ炒めやトマトのガスパチョ。どれもガーリックがほどよくからみ、ワインによくマッチする。
 同行したG君が感激して言った。「ああどれも旨いなあ。これらがあれば一晩中飲んでいられる」

 一晩中飲まれてはたまらないので「最後にスープでも頼もうか」とウエイターを呼ぶ。「デガメ?(呼びましたか?)」「シー、ドスソパデアホ、ポルファボール」「シー、セニョール」 じっと聞いていたG君は言う。「俺も少しはスペイン語判るようになりましたよ。鰻はアンギラスっていうんですね。日本では怪獣の名前だけど…。ドスソパは二個のスープということでしょ? デアホってなんことかな? ドアホの聞き違いかな?」
「デ・アホだよ」と私。「アホはにんにく、英語のガーリックのことよ。さあ、あと二日で帰ることになる。ドアホにならないように気を引き締めよう」

 ところがG君は、最終日のホテルでのチェックアウトの際、背後に置いた小型のバッグを盗まれるハメになった。あんなに注意したのに…。
 本人に面と向かってドアホとも言えず、私は小声で呟くのが精一杯であった。
「このガーリックめ!」

二十五年八月

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