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「800字文学館」

野菜の種の自給率

森田 晃司

 日本の食料自給率は先進各国が軒並み百%を超えているのに比して四十%前後と際立って低いのだが、鮮度や食味が尊重される野菜は、八十二%と例外的に高い国産比率を保ってきた優等生だ。
 ところが、その野菜の種の自給率はとなると、農水省の推計によれば、何と十九%しかない。
 野菜の種は、お百姓さんが品質の良いものを翌年用に取り分けて、使っているものだとばかり思い込んでいた。
 それなら国産野菜の種の自給率は百%のはずだが、野菜作りの実態は大きく変化してきているのだ。
 所得倍増計画が始まった昭和三十五年ごろを境にして 工業化社会の特徴である、規格品の大量生産、大量消費が農業にも及んだ。農政の指導やスーパーの台頭などにより野菜の規格化が進み、規格品の種子が大量生産され、その種子を農家は毎年購入しては使い捨てるという種子の大量消費が始まったのだ。
 半世紀を経た今日、大手種苗メーカーが海外で委託生産をした一代限りのF1と呼ばれる種を使う農家が大半となり、自家採種は激減、種子栽培用の適地も消え、地方ごとにあった中小の種苗店は大手種苗メーカーの販売店と化した。
 一方では、遺伝子操作を始めとする科学技術と資金の集中投下で革新的な種子の開発が進められ、モンサントを筆頭とする上位三社で市場の四割を占めるまでに急速な寡占化が進んでいるのが、世界の種子ビジネスの現状だ。まさに、「種子を制するものは世界を制する」という至言を地で行く状況だ。
 基本的な生命産業であり、本来は再生可能であるべき農業が、種、肥料・農薬、機械と主要な生産手段は全て外部からの購入に依存している現状は看過して良いものか。とりわけ、種は作物生産の大元であると共に、一万年以上の作物栽培の歴史の全てを遺伝子の中に刻みつけて内包している人類最大の文化遺産でもある。と同時に、一度失われた種は人知では再生不能と言われる。過度な海外依存は見直されるべきだろう。

平成二十五年九月

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