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「800字文学館」

民主化運動というけれど

首藤 静夫

 米国オバマ大統領が軍事介入決断かと思うと今度はロシアが化学兵器の国際管理提案と、シリア紛争は出口が見えないまま国際問題に拡大していく。

 最初は非暴力の民主化運動だった。生活改善や汚職追放などを掲げた運動は、アサド政権との全面対決など考えていなかっただろう。その後、介入する勢力が増え、要求や主張が多様化し、国内騒擾、内乱を経て国際紛争の様相を呈してきた。

 民主化運動の常として、最初は一般大衆が中心となって展開される。その後新手の勢力が現れ、彼らは大衆に紛れこんで画策し、運動の主導権を次第に奪っていく。今回の場合、急進的若者・離反軍人らの反政府勢力、クルド人勢力に加えイスラム原理主義者も国外から潜入していると聞く。彼らは戦闘のプロ、セミプロ集団である。また、反政府勢力の中も思惑の相違から互いの衝突も起きているようだ。こうして当初の民主化運動とはかけ離れてプロ対プロの軍事バトルが展開されていく。

 話は変わるが、私が大学時代の1968年に同様の民主化運動が起きたのを思い出す。最初は一学部の運営に関わる民主化及び学生の不当処分撤回の要求であった。瞬く間に全学に広がり、一般学生を広範に巻き込んで大学当局と対峙するまでに発展した。しかし運動の過程で、無期限スト、建物占拠、バリケード封鎖はては大学解体を叫ぶグループまで現れ、当初の運動の目的が見えなくなっていった。活動セクト間で暴力的衝突が起きたり、民主化運動とは無縁の政治闘争に発展したりと大混乱となった。最後は大多数の一般学生がついていけず、教室に戻り紛争は鎮静化した。しかし一部の活動家集団は一層先鋭化し、凄惨な闘争に明け暮れて悲劇的な結末を迎えた。

 シリア情勢と大学紛争を同一視するつもりはないが、民主化運動がこうして換骨奪胎され、運動が変質していくのは避けがたいことであろうか。シリア国民を置き去りにして紛争は別次元で進行していくようである。

(2013・9・12)

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