下北郡風間浦村易国間
下北半島の先端大間から少し南寄りの開けた海岸に易国間の集落がある。
易国間川の河口にあり、15世紀ごろには韃靼からの異国船が出入りしていたので異国間と呼ばれていた。
現在は下北郡風間浦村の役場が置かれ、古い街並みが残っている。
明治22年に町村制が施行された時、隣り合う下風呂、易国間、蛇浦の三つの村が合併し、各村の一字をとって風間浦となる。以来ずっと町村合併を行なわない人口2500人の小さ村。下風呂は井上靖の小説「海峡」の舞台となった温泉地で知られている。
寛永年間、函館にやってきたロシアの使節ラクスマンとの交渉に当たった幕府の宣諭使石川忠房、村上義礼らが任を終え、江戸に帰る途中この村に立ち寄った。
当時ここに滞在していた旅行家菅江真澄がこの時の様子を日記に記している。
幕府高官の一行は大間で昼食をとり、従者大勢を連れて夕方異(・)国間に着いた。
村人は、朝から道を掃き、砂を撒くなどして歓迎の準備をした。家々には新しい菅の菰を敷き、窓や垣根などにも葦のすだれを掛けた。酒とアワビ、ウニ、スズキ、タナゴ、カツオなどの肴を用意した。
先触れの後やってきた一行の装いは軽やかで、行列は簡素だった。村の家々に宿割りして泊まった。
村人は「このような高貴な方に一夜の宿を奉ることは再びあろうか」と涙を流し喜びあっていた。
高官は、夫を亡くした後よく家を守り、老人をいたわる蝦夷の女に金一封を賜ったという。
この夏、易国間の公民館を訪ね、村誌などを見せてもらい、公民館長と教育長を兼ねる越膳泰彦さんから村の話を聞いた。
江戸時代の異国間は人家70戸余り、特産の檜や海産物を積み出すため多くの北前船が出入りしていた。加賀や越前から移り住んで交易で財をなした商人が多かったという。幕府高官が泊まり、真澄が和歌を詠みながら寄寓したのはこのような商人の家だった。教育長の祖先も越前から来たのではないかと話される。
マグロと原発で知られるこの地域一帯、かつては海運で栄えていたのである。
(13・9・12)