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「800字文学館」

内子座

池田 隆

 古い町並みをよく残していると聞き、伊予の内子町を訪れた。松山より西南へ四十㎞ほど山あいに入った町である。
 町の入口近くで、「ビジターセンター A・runze 」と書かれた、厳めしい古風なビルに気づく。観光案内所かなと半信半疑で中に入ると、広いホールに多数の写真や説明板、地図が展示され、種々のパンフが並んでいる。
 内子町は江戸後半から明治大正にかけて、ハゼノキの実から採る木蝋の一大生産地であった。良質の内子産は蝋燭のみならず化粧品、医薬品、光沢材として人気があり、海外へも輸出され、町に莫大な富をもたらした。その富による建造物群が今尚よく保存されている。「ぜひ、ねき歩き下さい」とある。
 因みに「あ・るんぜ(A・runze)」は「(内子町には)ありますよ」という意、「ねき」は「近く、近場」という意の方言とのこと。
 白漆喰の大壁、なまこ壁、虫篭窓などの民家が続く通りを歩き、元製蝋業者の商家・工場を見学し、内子座へ。
 豪壮な木造瓦葺の入母屋造りである。正面入口に助六などの大きな歌舞伎絵が何枚も掲げられ、幟が林立する。しかし今日の催し物はないようだ。
 ボランティアさんの案内を頼む。この劇場は木蝋で栄えていた大正初期に、芸術や芸能を愛した町の人達によって建てられ、地元の人が農閑期には歌舞伎、文楽、落語などを演じていた。
 今も劇場として使用され、数年に一回程度は都会からの役者が来るらしく、生前の勘三郎も公演したという。
 ガイドさんの心こもる説明を聞きながら、二階の天井桟敷から舞台や花道の下まで見学する。此処に観客がぎっしりと座り、必死に演ずる役者に歓声を上げていたのだろう。だが今の静かな大空間から、往時の熱気を想像するのは難しい。それでも奈落の底で回り舞台やせり上がりの装置を見ていると、これらを人力で動かしていた人達の苦労が心に伝ってくる。
 まさに「縁の下の力持ち」である。いつの世でも華やかな舞台の下には、それを支える人達がいた。

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