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「800字文学館」

馬篭の宿から妻籠の宿まで

稲宮 健一

 八月の始め、中山道の馬篭の宿から妻籠の宿まで歩いた。中津川からバスで三十分程、田園風景を眺めながら、かつての宿場町を意識したレトロな道づくりの入口である馬篭のバス停に到着。小雨の中、早速藤村記念館を訪れた。入口の門構は本陣の格式を示す堅牢な造りで、敷地内は山間にしては広々としているものの、その昔、多くの大名、和宮一行、例幣使などが宿泊した跡形は所々にある古い柱などの他は感じられない。

 かつての街道の面影に因んだ町並みに沿ってお休み処や、土産屋が並んでいて、その中を通る道は当時と同じ道幅だが、石畳の歩き易い道だ。ご当地そばを食べた後、妻籠に向かって歩き出した。ずーと登りの道に沿って店屋が続くが、三十分もすると、もう林の中の道になってしまう。この道こそ当時の旅人に踏み固められた名残の道だろう。

 この街道は徳川二六〇余年間に江戸と京、大阪を結ぶ国道(山回り)。今で言えば、鉄道とその駅設備に当るだろう。駅長に当たる本陣の当主は庄屋の身分で、苗字、帯刀を許された近隣を治める村長さん。通常の宿場町を運営するほか、要人の通行時は近隣の庄屋筋から助っ人の大量動員を取り仕切らなければならい。

 「夜明け前」の始めに、青山半蔵の父が思い出話で、この街道の前代未聞の大通行は尾張藩主の遺骸が輿で江戸から運ばれるとき、千六百余人がこの宿に溢れ、さらにこの一行を世話する人足が近郷近在から二千七百余人が駆り出されたと語っていた。和宮様下向しかり、こんな狭い街道筋にどのように宿泊し、ご通行されたのだろうか。

 当主青山半蔵は幕末、維新の荒波を見聞きはしていたものの、ご一新により古学に由来する古き良き時代の新しき到来を夢見ていた。しかし、西欧文化の到来にもまれ、幕末まで維持していた役割を次々と奪われ、正気を失い、今で言う恍惚の人になってしまった。

 そんなことを話しながら、林の中の道を歩いているうち、三時間が過ぎ妻籠に到着した。

(二〇一三・九・十二)

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