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「800字文学館」

趣味人もいろいろ

首藤 静夫

 私は川崎市の高津区在住で、多摩川近くに住んでいる。川辺は市民にとって一年中楽しめる空間である。私もウォーキングや川魚のガサガサ(草叢をガサガサやって小魚を網で掬い取る)或いは野鳥観察など大いに恩恵を受けている。

 少し前の話だが、トラフズクというフクロウの仲間が川辺の樹木に飛来、写真や野鳥の愛好家がそれっとばかり集まってきた。フクロウは滅多に見られない大物なのだ。日中は目を閉じ、動きも殆どない。ある写真愛好家は小石を鳥の近くに投げたりしていた。何とか目を開かせるか、羽ばたきをさせたかったのだ。その証拠にこの鳥が目を開けた立派な写真を周りの人たちに披露もしていた。

 次にこれも野鳥であるが、このあたりにはカワセミが出る。渓流の宝石といわれるほど背中の青色と羽根の緑色が美しい鳥。動きが俊敏で、良い写真を撮るのは大変なようだ。別の愛好家は、カワセミに停まって貰える小枝を立て、その下の浅い流れに小石を並べて小さい池を作り、何とその中に泥鰌を何匹も放してシャッターチャンスを待っていた。カワセミが泥鰌に襲いかかる瞬間をベストショットしようという訳だ。

 写真展などでは、偶然の瞬間を上手に捉えたものだなあと感心したりする。しかし中にはこのような仕掛けもあったりするのだ。前者は明らかにマナー違反であるが、後者も作為的なものが感じられて好きになれない。
 自然界のものは、あるがままの状態で、その営みや神秘を楽しむのがいいと思うのだが、趣味が嵩じてくるとそれでは満足しなくなるのだろうか。

 私のように野鳥観察の素人が近づいていくと、見るからに年季の入っていそうなバードウォッチャーから、小馬鹿にしたように邪魔扱いされることがある。対象物に集中するあまり、それ以外のことに気が回らないのであろう。
 どの道にもありがちな、一部愛好家のこの種の態度に接すると、ああ、いやだなあ!と、折角やり始めた趣味自体がしぼんで感じられたりするのである。

(2013・9・25)

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