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「800字文学館」

異国での親切心

都甲 昌利

 10年ほど前、妻と二人で欧州旅行をした。レンタカーをしてベルギーからルクセンブルグ経由でドイツに入りコブレンツまでの旅だ。途中、マルクスの生まれたトリーエで一泊した。トリーエの町を散策し最終目的地のコブレンツに向かった。ドイツの黒い森の中を走行していた時、路に迷った。辺りは暗くなるし冷たい雨も降り出し、目的地の町まで着けるのかと不安になった。民家は見えず道を聞くすべもない。幸いにも前方から1台の車が見えたので止めた。

 車から30歳くらいの青年が降りてきた。事情を話したところ、親切にも、自分が案内してあげるから後ろを付いて来なさいという。彼は道を引き返し先導してくれた。彼の車のテールランプを必死で追った。こんなとき、外国では親切を装い、淋しいところに連れて行き、金銭や命を奪うと言うことがあるので、一瞬恐怖心が横切った。メキシコを旅行したとき、親切そうな男にだまされ、危険な目に遭ったことがあるからだ。いや、ここはドイツだ、メキシコとは違う。いろいろな感情が錯綜した。どの位走ったのだろうか。正確な時間は覚えていないが、暫くして町らしき明かりが見えた時にはほっとした。更に彼は町の中は路が込み入って複雑だからと言い、私達が泊まるホテルまで案内してあげると行って走り出した。再び彼の後をつけた。目指すホテルに無事着き、お礼にと少しばかりのお金を渡そうとしたが、受け取らない。
 それでは私の気持ちが治まらないと言ったら、彼は「若し私が日本へ行った時、同じように私にしてくれるのが最大のお礼です」と笑顔で言って立ち去った。
 夕食の時、妻と二人であんな好青年を疑ったことを恥じた。外国旅行中、ひどい目に遭った事は鮮明に覚えているが、親切にされたことは余り憶えていないものだ。しかし、この出来事は何故か鮮明に覚えている。
 日本に帰って、時は大分経つが外国人に恩返しをする機会に恵まれていない。

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