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「800字文学館」

村を守る愛しき人々

木村 敏美

「私は昭和二十年釜山に生まれ、戦後の苦しい時代を九才まで福岡県の山奥の小さな村で過ごした。黒木瞳さんや五木寛之氏が出た黒木から幾山も越えて行く。ここが故郷である。

 ある日故郷が山奥という友人と、どちらがより山奥なのか見に行くことになった。福岡市から車で四時間、我故郷に到着。美しい山や川は昔と変わらないが、昨年の豪雨で川の補修が行われていた。我家は無いが、川を挟んだ山側の三軒の家は昔のままの様に見える。水田も少しあり、男性が一人働いていた。
 家に近づくと畑で働いている婦人が二人。思いきって声をかけてみた。ずっと昔すぐ下に住んでいた者だが懐かしくなり訪ねた事、昭和二十八年の北九州大水害の時、ここの三軒の家の方が避難の手助けをしてくれ、家にも泊めて戴いた事等を話した。
 すると年配の婦人が私を知っていると言われる。泊めて戴いた家には私と年の違う子が二人いてよく一緒に遊んだが、その子達のお母さんだった。私は三姉妹の末っ子だが、話をしていると名前を思い出され、上から「みち子さん、妙子さん、敏美さん」と言われた時は言葉が出ない程驚き感動した。およそ六十年程会っていない! 御年九十三才! 予告なしの突然の訪問なのに。

 思えば母が急病になった時もお世話になっている。振り返れば色んな人に助けられて生きて来た。遅くなったが、有難うございましたと言えて良かった。今も元気に息子さんご夫婦と畑仕事をしておられる姿は眩く見えた。隣の二軒は以前に村を離れられたが、一軒の方は直木賞作家安部龍太郎氏の生家である。同氏が受賞後の講演で「山奥で育った事が私の原点である」と言われた。今同じ場所で同じ思いで私もここに立っている。

 水田で働いている息子さんに昔のお礼を言うと、手入れの手を休め「泊まっていきなさいよう」と手を振って何度も言って下さった。その声が深い緑の谷間にこだまし、今も耳に残る。暖かい余韻を感じながら郷里を後にした。

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