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「800字文学館」

「いざ、生きめやも」

野瀬 隆平

「風立ちぬ、いざ生きめやも」
 堀辰雄の小説『風立ちぬ』にも引用されており、よく知られているフランスの詩人、ポール・ヴァレリーの詩の一節である。
 Le vent se leve!.... il faut tenter de vivre!
を堀辰雄が、日本語にしたものだ。

 この「生きめやも」という訳文を、知人のNさんはかねがね疑問に思っていた。「めやも」の「や」は反語の助詞であり、この訳だと「生きられようか、いや生きられない」と、否定的な意味になるからである。
 この釈然としない胸のもやもやを晴らしてくれる文書を、Nさんは見つけ出した。国語学者の大野晋と丸谷才一が、1987年にこの訳文を俎上に載せて対談した記録である。
 丸谷が、この訳は堀の間違いであると指摘したのに対して、大野も同意して、
「いざ生きめやもの訳はおっしゃる通りまったくの間違いです」
と言い切っている。日本語の権威に、このように断言されては反論しにくい。

 この話をフランス語にも堪能な別の友人に伝えたところ、次のような意外とも思える見解を述べてきた。
「いざ生きめやも」の響きは、柔らかい詩文となっている。それが単純誤謬を超えて、読者層を拡大するのでしょう。
 丸谷や大野がこれだけ批判するなら、「いざ生きめやも」に代るフレーズを対案として議論の中で提出すべきだった。
 私が考えるに、もっとも簡単には「いざ生きめ」でしょうが、それでは詩的でない。そこで古文的に「いざ生きめかし」とすると、これまた硬さだけが耳に残る。丸谷や大野に詩人の感覚が横溢していれば、無味乾燥な語学的ないし文語文法批評に終始することは無かったはずです。
 作家は既存文法に縛られず、新たな感覚を盛り込んでこそ、だと、内外の新文学に眼を通すと思うからです。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」は、ある作家が創造した言葉として、日本文学史に刻まれるに違いないはずです。

 さて、皆様はどのようにお考えですか。
 ちなみに、英語では、The wind is rising!.....We must try to live! と訳されています。very simpleですね。

『日本語で一番大事なもの』(大野と丸谷の対談)中央公論社刊

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