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「800字文学館」

地図への誘い(三) 地図を読む

阿部 典文

 私が進学した工学部・造船工学科では、帝国海軍が存在していた頃からの伝統を引き継ぎ、夏期の工場実習が必須科目であり、夏山の登山はほぼ不可能となり、山登りから遠ざかって行った。

 その頃山にも行けず滅入った時、私はよく一枚の地図に目を注いでいた。そして地図が含む各種の情報を読む技術も深まり、未知の山々や国々のイメジーを組み立て楽しんでいた。
 その後、日本の経済は高度成長を迎え、海外旅行は夢でなくなった。またアルプスやヒマラヤの地図も容易に入手できるようになり、遠征記録と地図を併せて読み、机上での登山を密かに楽しんでいた。

 その夢のような楽しみが、昭和五十一年イタリアのミラノ駐在を命ぜられ現実のものとなった。
 ミラノはフランス・イタリア・スイスのアルプスが描く大きな円弧の中心に位置し、バスや鉄道でアルプスの主要地点に数時間で到達できる位置にあった。

 ミラノの冬は長く暗く、その夜長の楽しみが蒐集した山の地図を読み、未知の山への思いを馳せることであった。
 そこで二つの著名な山《マッターホルンと穂高岳》の地形図を紹介してみよう。
 使用されている色彩の数が日本の地図は4色であり、これに比べスイスの地図は色数が多く、氷河などを含む地形の多様さと相俟って芸術作品の領域に迫っていた。

 また山のスケールの大きさに驚かされた。
 因みに穂高岳の登山基地・上高地とマッターホルン登山基地・ツェルマットはほぼ同じ標高。山頂までの標高差は夫々千五百と三千米を考慮に入れても、同じ水平距離、例えば五㎞の範囲に日本アルプスの場合は穂高連山の明神・奥穂高・涸沢等五つの山が含まれるが、マッターホルンの場合はテオデュル峠(標高3,301米、国境稜線上の最低地)から南東山稜を経て頂上に達するまで小さな瘤はあるが山は全く無い事を発見した。

 このように地図を検討した上で、ツェルマット周辺を散策すると、予め読んだ情景が寸分なく再現され、山行の楽しみを倍化させてくれた。

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