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「800字文学館」

大洲の粋人

池田 隆

 明治も二十年代に入ると、行き過ぎた西欧化に対し伝統文化を見直す気運が起こる。茶道や能に心を寄せる粋人も政財界に登場する。その一人が河内寅次郎である。
 彼は伊予大洲で油業や製蝋業を営む家を引継ぐが、三十歳台で家業を婿養子に譲り、神戸に出て木蝋の貿易商となる。伊予の木蝋は品質が良く、外国人にも好評であった。
 木蝋業界の代表者として、彼は全国的に国産木蝋の品質と量の確保に努め、重要輸出品目の一つに育て上げる。彼自身も莫大な富を得るが、成功の源は本人の誠実さにあった。それを物語る逸話がある。
 北海道開拓に向う途中、神戸に立寄った郷里の後輩に対し彼は言う。
「もし志を得られず、神戸に戻り、車引きを始めている君に出会ったら、羽織を脱いで後ろから押してあげよう。しかし万一不正な行為で巨万の富を築き、着飾って訪ねて来ても、唾ひとつ掛ける気も起らないだろうね」

 四十歳になった寅次郎は大洲市街に隣接した旧景勝地の一角を買い入れる。水量豊かな肱川を大きく蛇行させる小高い丘の突端である。眼前は今も鵜飼で名高い処であるが、往時は帆かけ舟や筏流しがのどかに通っていた。
 その地に構想十年を経て、京から千家十職の名工を呼寄せ、数寄屋造りの母屋と茶室を建て、臥龍山荘と名づける。母屋は質朴な茅葺の田舎家風に、茶室は川淵に積上げた石垣の上に半分迫り出すように建て、迫り出た部分を十数本の自然木で支える奇抜な構造とした。
 しかし寅次郎自身は精魂傾けたこの山荘で余生を楽しむことなく、五十歳台で世を去る。

 この夏、私は臥龍山荘を初めて訪れた。室内は欄間や襖の枠などの細部に至るまで、精巧な工夫が施され心憎い。茶室を遠くより眺めると、今流行のツリーハウスに見える。茶室に座れば、川面上空を飛ぶ遊覧飛行船に乗った気分だ。
 寅次郎の斬新なアイディアと伝統工芸へのこだわり、その奥に潜む彼の誠実さに心をうたれ、これこそが粋の神髄と思いつつ臥龍山荘を後にした。

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