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「800字文学館」

地図への誘い(四) バルカン半島の民族地誌

阿部 典文

 一九一八年、セルビア人博物学者ヨヴァン・ツヴィーイッチが描いた宗教及び民族の分布を示す「バルカン半島民族地誌地図」が発表された。
 この地図には、カトリック教徒のスロヴェニア・クロアチア人、ギリシャ正教徒のセルヴィア人、回教徒化したスラヴ人やアルバニア人などがモザイクのよう入り乱れて居住するバルカン半島の歴史の痕跡を留める民族分布が如実に示されていた。

 この複雑な民族分布地帯に、第二次世界大戦後、ユーゴスラヴィア共和国が建国されたが、建国の父チトー大統領の死を契機として、各民族が「民族国家」建設を目指し、地域内の少数民族の浄化若しくは分離を図ったため内戦が勃発した。
 特に多民族が雑居するサラエヴォを首都とするボスニア・ヘルツェコヴィナ自治国では回教徒に対する大規模な民族浄化紛争が勃発し、激しい殺戮と都市の破壊が展開された。その内戦は一九九二年から五年間継続され、死者一万七千人・負傷者五万人に達する被害と、歴史的な建造物の破壊が行われた。

 内戦終了後の復興処理の一助として、地雷による一般市民の危険防止の為《サラエヴォ地域の地雷汚染地図》が作られた。
 この地図は埋没されている地雷と不発弾による汚染地域が示され、クロアチア語・セルヴィア語・英語により警告が記入されている。

 私は現役時代アドリア海沿岸からサラエヴォ経由し 数回に亘りこの紛争地帯を縦断している。峠道を一つ隔てるだけでキリスト教の教会堂からイスラム寺院へ、又その逆と、複雑な民族分布と、目まぐるしく移り変わる人文地理的な景観に驚かされた記憶が今でも鮮やかに甦ってくる。
 そして民族紛争の終戦処理の一つとして作成された汚染地図は、テロリズムに対する危険の解毒の為の処方箋であった。
 このような主題地図が再び作られないことを願っているが、最近シリアの内戦が勃発している事を思うと人間の持つ業の深さを感じざるをえない。

 このような悲惨な紛争を経て、旧ユーゴスラヴィアは分断され、幾つかの民族国家が建設されたが、人々がどのような心の平安を覚えているか、再び旧遊の地を訪ねてみたいと思っている。

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