二つの隣国
日経の夕刊「あすへの話題」というコラムに昭和電工相談役の大橋光夫氏が執筆されたエッセイに目が留まった。大橋氏が台湾の馬英九総統を訪問したおり、八田與一氏の銅像が彼の記念公園内に日台の有志により建立され、八田氏の命日に除幕式が行われたとのことを伝えられた。一度行かれるよう薦められたとのことです。
八田氏は台湾総督府の技師で、一九一〇年台湾に渡り、台南の農業振興のため灌漑用ダム建設を計画し、家族の支えを得て、地元の人と苦楽を共にしながら十年を要して完成にこぎ着けた。その偉業は中学の教科書にも載り、地元で語り継がれているとのこと。言うまでもなく、八田氏以外にも、後藤新平の台湾での業績は有名である。
同じ銅像でも韓国では恨みの訴えに使われている。しかし、日韓関係は悪感情を投げる場ばかりではない。少し前のことだが、昭和五十年代、日本の高度成長が軌道に乗り始め、日本の製品の品質が世界で認められ始めた頃だった。高品質と高生産性を生む生産現場には近代的な定量的管理体系を説く工業経営学の適応が必須である。この工学の頂点にデミング賞がある。その受賞者(一九八四年、早稲田大学の池澤辰夫教授だと覚えています)が韓国を訪れ、講演したとき、大歓迎を受けたと報じられた。また、日本語に堪能だった韓国企業のトップ、今では財閥の創始者は、日本に来たときは、日本語の経営関係の図書を多数買って、企業の基礎を築きくための知識を獲得したと報じられたのも覚えている。韓国企業の基礎がここにある。
国の指導者は一面のみを見て感情に訴え、世論を煽ってはならない。恨みと怒りから未来は開けない。韓国の為政者はこのような問題は理性的に根気よく話し合う場を作り、解決の糸口を作らなければならない。工業の近代化の萌芽期には明るい未来を信じて、熱い国民的な熱気があったはずだ。今や、近代化も実現して、未来志向の民情の喚起が出来ると思えるが、如何なものか。
(二〇一三・十一・二八)