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「800字文学館」

司馬遼太郎記念館

大平 忠

「司馬遼太郎記念館」に行ってきた。行こうと思いながら延び延びになっていた。司馬さんが亡くなった72才の年令を超えてしまい焦りも出ていた。漸く願いが叶った。
 新幹線で京都まで行き、近鉄奈良線の河内小阪で降りる。歩いて12分、記念館の開館10時にぴたり着く筈が道に迷って少し遅れた。かなり不便な場所である。何故ここに住まいを定めたのかと疑問が湧いた。しかし、記念館に到着するや疑問は解けた。司馬さんは膨大な書籍を置く書庫が必要で、広い敷地を求めたのに違いない。
 入口からの庭は、種類の異なる樹木が混在する雑木林である。その中に家屋があり、司馬さんの書斎が、亡くなった平成8年2月のままの状態で、外から見ることができる。木々が丁度紅葉してきれいだった。司馬さんも執筆の合間に筆を休めて眺めたことであろう。
 庭を通り越して記念館に入るや、11メートルに達するという書籍の壁に驚嘆した。垂直に書籍の棚を積み重ねて壁は作られている。見上げて圧倒された。設計した安藤忠雄は、司馬さんの叡智の源である万巻の書を高さで表現しようとしたのだろうか。
 ボランティアの方が「地震でも震度7まで大丈夫です」と教えてくれた。蔵書は全部で約6万冊、記念館にはそのうちの2万冊が飾られている。
 短い紹介ビデオを見ていると、『竜馬がいく』の資料集めを頼まれた神田のさる本屋は、関係する文献を全部集めたとか。重量にして約1トンになったという。神田から坂本竜馬に関する本が消えたそうだ。司馬さんは、流れるように各文献に目を通したというが、頁をめくるだけでもたいへんな作業と労力であろう。万巻の文献を糧に、日本人を、日本の国を考え続けながら書いた数百冊の著作に目を奪われる。これらの作品を夢中で読んだ日々のことが次々に思い出された。

 2時間があっという間に過ぎた。記念館の屋根と紅葉を何度も振り返りながら司馬さんも歩いたであろう道を駅へと向かった。

(平成25年11月28日)

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