地図への誘い(五) 古地図への目覚め
私は三十数年前ウイーン美術史博物館でオランダの画家フェルメールの作品《絵画芸術(油彩120x100㎝)》に接して絵の背景に描かれたオランダ地方の古地図を眼にすることができた。
絵画中央上部には「双頭の竜」の彫刻で飾られたシャンデリアが描かれ、トロンボーンを右手にした「歴史の女神クリオ」がモデルとなっていた。
このように見たままの単純な絵画鑑賞とは別に、テキストによりこの絵はフェルメールが得意とした寓意画であると共に歴史画であることを知った。
因みに後姿の画家はフェルメールであり、女神クリオは画家の名声を吹聴する為に楽器を手にし、双頭の竜はオーストリア・ハプスグルグ家の家紋。背景の地図は現在のオランダ及びベルギーの国土図であり、地図上の中央部の陰のような縦の皺は、ハプスグルグ家によるプロテスタント教徒のオランダとカトリック教徒のベルギーの分断を暗示していることを知った。
このように描き込まれている情報から当時のオランダを巡る国際情勢が浮かび上がると共に、歴史と寓意を表していることを学んだ。
同時に私はこの絵を目にして地図の持つ機能の一つ「歴史と人々との係りを表す事」の意味をも理解し、古地図(この絵が描かれた時は最新の地図であったが)への興味を目覚めさせてもらった。
フェルメールは寡作で知られ、残されている作品は僅か三十数点に過ぎないが、その内の五点に地図が描かれ、また地球儀や天球儀などが登場する作品三点が残されている。因みに《信仰の寓意》では、女性が地球儀を踏みつけ、信仰が足の下に世界を踏み潰していた当時の世俗が暗喩されている。
このように地理上の主題がフェルメールの作品に多く登場するのは、十六世紀後半オランダがヨーロッパに於ける地図製作の中心で、多数の地図製作者が活躍したことの反映であり、加えて新しく誕生した市民階級は、額縁の絵と同様に居間や客間を飾る装飾品として地図を求めた社会の風潮が、地図を絵画の中に取り込んで描いた背景に潜んでいる。