牛込とあざみ野の町くらべ
東京のベッドタウンであるあざみ野より、都心の牛込への転居を機に両地区の比較を試みた。
牛込は新宿、早稲田、飯田橋、四ツ谷などに囲まれた約二キロ半四方の山手地区である。あざみ野も隣町のあざみ野南を含めると、ほぼ同じ広さをもつ。両者共に地勢は起伏に富む。
人口はあざみ野の二万人に対し、牛込は十万人である。昼間の人口はその数倍になる。緑地はあざみ野の方が圧倒的に多い。
今のあざみ野界隈は広い道が整然としているが、昭和四十年代に東急が開発を始めるまでは、雑木林の間に畑が点在する寒村であった。学生時代に自転車で探索を試みたが、道が悪く途中で断念した覚えがある。
徒歩が主な交通手段であった江戸期には、大手門より牛込まで行くのに一時間弱を要した。電車網が発達した現代では、都心よりあざみ野までの所要時間が約一時間である。時代を越えて、両者は時間的に同じ位置関係になる。牛込は江戸城に通う大名、旗本、御家人の屋敷や寺院が並ぶ郊外の邸宅地だった。
ただ都市の防衛上、牛込地区は道が狭く、入り組んでいた。戦災で焼け野原になったが、その道筋や区割りは大筋変らなかった。地図で数えると、六十六もの町がある。昭和や平成の市町村合併に際し旧町名を残した牛込住民の心意気に思わず喝采したくなる。
牛込柳町は以前に自動車の排気ガス汚染で話題になった地区である。転居に際し懸念したが、今は大気や夜間の騒音も耐えられない程ではない。
牛込の街を歩くと、あざみ野の商店街で目立つ不動産屋、美容院、量販店が少ないのに気づく。魚屋、肉屋、豆腐屋などの食材店がまだ残っていないかと期待したが、あざみ野と同様にやはり見かけない。その代りに外食店や飲み屋がやたらと多く、流石にあざみ野より古い創業で美味しい店が多い。
さらに牛込散策で嬉しいのは、由緒有りげな名前の路地や石段、坂道が多く、随所で歴史的人物の居住跡や墓に出合い、歴史の息吹を浴びることである。