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「800字文学館」

右近さんとゆかりさん

首藤 静夫

 その日は朝からどきどきしていた。新潟の工場に着任してまもなく、芸妓を呼んでの宴席に初めて出るのだ、接待の世話係ではあるが。当地で名高い高田芸妓である。「雪国」の駒子みたいだったらいいなあ……。
 上越市・高田(旧高田市)は十五万石の城下町。陸軍第十三師団の置かれた町で、かの長岡外史や秋山好古も一時期ここの師団長だったとか。往時の賑わいはどんなだったろう。
 現れた芸妓は二人で、一人は堂々たる体格の、もう一人は小柄の、いずれも五十代とおぼしきお姐さんたち。「駒子」ではなかった。
 しかし、この二人、地元で有名な芸妓だった。名前を右近さん、ゆかりさんという。のちに聞いた話だが、年に一度の彼女たちとの宴を楽しみにしていた東京のある社長、妹さんの葬儀にぶつかったが、片づくや宴席に駆けつけたとか。
 私にも追々わかってきたが見事な接応ぶりである。芸妓らしい華やいだ雰囲気はもちろんのこと、客の話をそらさないで酌や会話に入る、その間合いが実にいい。初対面の客にも上手に接してくれる。頃合いを見て踊りを……地元の名曲「高田の四季」や「黒田節」など。むやみに酒だけ注ぎたがる素人っぽい妓とは比較にならない。
 ある時、宴が終わりに近づいた頃、右近さんが中庭に面した障子をそっとあけた。いつの間にか竹笹や地面に雪が降りつもっている。それまでの騒ぎがうそのように座が静まり、みんなで見とれたことだった。さりげなくこんな気配りをみせるのだ。
 私の仕事は実はこの後が本番である。宴のあとの二人を誘って近くの寿司屋などで慰労するのだ。やれやれと二人がしゃべりながら力が抜けていくのを、お酌しつつ横で聞いたり、たまに苦言を頂戴したり、新米総務部長は酔っている場合ではない。
 右近さんはその後数年で引退し、京風のおでん屋をこの町に開いたと聞く。清潔で華やいだ店に常連の笑い声が聞こえてきそうだ。
 ゆかりさんはどうしているだろうか……。

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