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「800字文学館」

富士山は御殿場線から

清水 勝

 矢倉沢往還の街道歩きも足柄峠を越え、その名も足柄街道と言われるようになってきた。今回は御殿場線の足柄駅(無人駅)がスタート地点だ。近くには後醍醐天皇の命を受けた新田義貞と鎌倉に腰を落ち着けた足利尊氏とが戦った竹之下古戦場がある。ここで勝利した足利尊氏はこの後室町幕府樹立へと進むキッカケを得たとされている。そんな歴史を感じながら当時の武士となって街道を勇ましく進む。それに相応しい名の有闘坂を越えると、我らの戦勝を祝うが如く右手にドーンと富士山が現れる。
 これはもう見事!世界文化遺産は当然だと納得する。この地からは東海道から観るのとは大違いで雪もたっぷり。正しく富士の白雪そのものだ。その富士山を観ながら御殿場の街を縦断する形で歩く。途中に御殿跡を見つけた。徳川家康が駿府と江戸を往来するための宿泊施設があったという。ここから御殿があった場所、御殿場と称せられたことを知る。
 今日のゴールは御殿場線岩波駅。帰りは小田急新松田駅と接続する松田駅に戻るのだが、この御殿場線からの富士山は素晴らしい。単線のためノロノロ運転であるが、全く気にならず、ずっと富士山を拝む気持ちで乗車していた。富士山を観る観光線として売り込めばいいのに……。
 この線は東海道本線の国府津駅から御殿場を経由して沼津駅までで、1889年に開通しており、1934年の丹那トンネルの完成までの四十五年間はここが東海道本線だった。しかも複線だった様子が線路跡に残されている。なぜ単線に戻してしまったのか。それは戦争中の物資不足により、御殿場線のレールや橋梁を撤去して横須賀~久里浜の軍用線路建設に充てられたためだそうだ。
 かつての東海道本線の栄光を富士山観光路線として脚光を浴びさせて欲しい。そんな思いがするが、御殿場線の半分近くが神奈川県にあるためにJR東海は遠慮をしているのだろうか。そういえばスイカも使えなかったぞ、JR東海さん。

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