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「800字文学館」

カルペ・ディエム(Carpe Diem)

平尾 富男

 ラテン語は言語学的に「死語」と呼ばれている。今では世界中どこにもそれを話す国民はいないからだ。現代人にとってラテン語とは、主にキケロ、カエサル等のローマ時代の哲学者、詩人、政治家による文芸作品に残された「書き」言葉なのである。現在でもバチカン市国で公式文書に用いられる公用語はラテン語だが、そこで話される言葉はイタリア語だ。
 この言葉、当初はローマ近郊で用いられた日常語であった。後にローマ帝国の公用語として広く用いられるようにもなり、4世紀以降にキリスト教の公用語として、広くヨーロッパ社会に宗教的、文化的な影響を与えた。
 更には、ルネサンスを経て18世紀に至るまで、西欧の学問研究の共通言語として重要な役割を担い、ヨーロッパの多くの国の言語の源にもなっていった。一方で、各国の言語がそれぞれ固有の言葉に進化、変容したため、学問として学ぶ機会がないと、ラテン語を解することは困難となる。ヨーロッパでは今でも、義務教育の一環としてラテン語の授業が行われている国が少なくない。
 さて、題名の「カルぺ・ディエム(その日を摘め)」は、古代ローマ時代のホラティウスの詩集にある言葉だ。「僕らがお喋りをしている間に、意地悪な『時』は足早に逃げていってしまうから、今日一日の花を摘みとることだ」と詠い、「明日の来ることは、少しも当てにはできない」と締めくくる。
 ラテン語の影響を強く受け続けたヨーロッパ人は、自国の言語の中にローマ文化の影響を無意識のうちに受け続け、日々ラテン語の神髄を摘みながら未来に伝えているのだ。

 学者を夢見ていた私の友人の好きなラテン語は、ホラティウスと同時代人キケロの言葉「ドゥム・スピーロー・スペーロー(Dum spiro, spero)」だった。
「息を吸う間、私は希望を持つ」と直訳される。友人は30歳を待たずに病に倒れたが、怠惰な私に会う度に「カルペ・ディエム」と言っていたのを思い出す。
 ラテン語は決して死語ではないのだ。

(2014.01.29)

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