ルーツ探しは面白い (無足人)
わが家に「御奉書箱 池田安兵衛基親」と墨書された木箱が伝わる。中に数枚の古文書が入っている。
ルーツ探しを始めるにあたり、古文書入門事典を片手に解読に挑戦してみた。似通った形に見える崩し字が多く、初心者にはまるでジグゾーパズルである。頁を捲りながら、文書と同じ字を見つけた時の嬉しさは格別だ
一番古い安永九年(1780)の文書が最も難解であった。古文書に強い友人の力を借り、「安兵衛に米三十俵と引き替えに油株を渡す」と、要旨を読み解く。二番目に古い天明四年(1784)文書も証文である。その趣旨「米七俵の代償に池田の名字を譲渡する」を自力で解読。つづく文政元年(1818)文書と慶応四年(1868)文書は藩奉行による「無足人」の辞令である。前の二つの文書は初代の池田安兵衛へ、後の二つは各々その二代目と三代目宛になっている。
「無足人」に興味を覚え、調べてみる。
歴代のわが祖先は伊賀に住んでいた。戦国時代、その地域は土豪の勢力が強かった。江戸時代初期、転封してきた藤堂藩は反抗心の旺盛な旧土豪たちを懐柔するために、無足人という新たな身分を設ける。
俸禄(足高、知行)は与えないが、名字帯刀を許し、兵賦役や村の治安管理を任せる郷士制度である。時が経つと、無料奉仕の役務に耐えらない身分返上者も現れたようだ。
十八世紀も中期になると、全国的に灯明用菜種油が普及する。古文書から推察すると、米作主体の農民だった初代安兵衛は油業の株仲間の権利を買い、菜種油の生産販売にも手を拡げる。ついで名字も購い、無足人の身分を得る。二代目、三代目は油業をさらに拡大させ、無足人の公的役務にも精勤し、その資格を上げていく。
江戸時代には士農工商という厳格な身分制度があったと学校で教える。しかし、古文書を調べると、歴代の池田家は士農工商、全てを兼ねている。同じようなケースは全国各地で見られたことだろう。
ルーツ探しでは上から目線の教科書と違い、側面から歴史の実態が見えて面白い。