作品の閲覧

「800字文学館」

日本を救ったスリランカ

野瀬 隆平

「憎しみは、憎しみによって消えるものではなく、愛によってのみ消えるものである」

 1951年、サンフランシスコ。日本の終戦処理について、講和条約会議が開かれていた。その場で、スリランカの代表として参加した大蔵大臣、ジャヤワルダナ氏は、冒頭の釈迦の教えを引用して熱弁をふるった。
 日本の自由な独立を制約し、分割統治することを画策していたソ連は、大人数の代表団を送り込んでいる。北海道と東北地方をソ連が、東京を中心とした中央部はアメリカ、四国は中国が、そして南日本はイギリスによって、四つに分けて統治する案もあった。一つ間違えば、日本は分断される危機にさらされていたのである。

 セイロンと呼ばれていた小さな島国、スリランカは、1948年にイギリスの植民地支配から独立したばかりである。その国の代表である同氏は、賠償請求について、
「日本から賠償を取るべきでしょうか、我々は権利を行使する積りはありません」と明言したあとに、仏教の教えを語ったのである。
 演説が終わったとき、会場は万雷の拍手に包まれた。この瞬間に、日本が救われたと言っても過言ではない。

 何故この様な考えに至ったのだろうか。これは、単に「日本」という特定の一国に対して、好意的であるということではない。アジアの同胞として、また同じ仏教徒として、更には長いあいだ欧米の圧力に支配されてきた仲間として、敗戦後の日本が自由を失い、再び抑圧されることに対して、断固反対すると表明したものである。ここには、明治時代に日本を訪れ、日本をモデルとして独立を図ろうとした同国の僧侶、ダルマパーラの精神も受け継がれているのだろう。

 日露戦争が契機でトルコが親日国となったことは、よく語られるが、恥ずかしいことに、最近までこのスリランカの話は知らなかった。
 ジャヤワルダナ氏は、こんな遺言を残している。「自分の角膜を、片目はスリランカ人に、もう一方は日本人に移植するように」

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧