大壁画『秋田の行事』と平野政吉
東京が雪に覆われた二月十七日、秋田にいた。昨年完成した新・秋田県立美術館の前庭も一面雪であった。三角形をモチーフにした安藤忠雄設計の美術館は維持費が大丈夫かと入館した際に思った。
「貧乏人、何を言っとるんじゃ」と、平野政吉の声が聞こえる様であった。この美術館は県立とはいえ、平野政吉美術館とも称されている。それもそのはず、収蔵品の多くが平野政吉個人コレクションなのである。
特に藤田嗣治の大壁画『秋田の行事』を展示するギャラリーは圧巻である。
縦3.65m、横幅は20.5m、畳六十四枚分の壁画で、そこには平野家に年始挨拶に来た人々、かまくらで遊ぶ子供や秋田犬、竿灯、三吉神社の梵天、八幡神社の秋祭りと、秋田の四季の行事が描かれている。祭りで踊っている様子からは秋田音頭のお囃子が聞こえてくるようだ。この壁画を観ているだけで秋田っていい所だなあ、何だか目出度いなあ、という雰囲気にしてくれる。
藤田嗣治の作品を105点も蒐集し、この『秋田の行事』に至っては、藤田嗣治を昭和十二年に秋田に招き、平野政吉の米蔵をアトリエとして提供して描かせたものであるという。
平野政吉(1895~1989)とは、いかなる人物なのか。
平野家は水戸藩主佐竹氏の国替えに伴い、水戸から秋田に来た御用商人で、米穀商として財を築いてきた。戦前は三百町歩の水田と六百人の小作人を抱える大地主であった。秋田の大資産家であっただけに、秋田にも奈良に負けない美術館を建てたいと考えていた。その考えに藤田嗣治も賛同して『秋田の行事』を描いたのである。
しかし、旧平野政吉美術館の完成直前の昭和四十一年、藤田が初期の作品の寄贈を撤回したことで、美術館の名称に関して二人は絶交することになったのは残念としか言いようがない。
とはいえ、当時は日本での評価が低かった画家藤田嗣治を経済面で支援をしていたのは秋田の平野政吉であったことは紛れもない事実である。