異常心理と原発
人間の心理は不可解である。健常と見られた人が急に異常心理に陥り、思いもよらぬ行動に走る。米国で時々起こる学校での銃乱射事件、秋葉原通り魔事件、最近では名古屋や柏での車や刃物による無差別殺傷事件、さらにマルハニチロ農薬混入事件など、枚挙すれば切りがない。
アルカイダやオウム真理教あるいは北朝鮮政府のような組織体の異常行動ならば、まだ事前の対応も可能だろう。しかし個人が相手では心身鑑定、家族調査や思想調査、日常行動観察をいくら行っても、完全な予見は期待できない。
話は変わるが、原発は無数の機器で構成された巨大システムである。全ての機器とソフトは基本的に正常な取扱いを前提に設計されている。フェイルセーフやフールプルーフと言った信頼性工学の手法を用いて、誤使用や誤作動に対する対策も講じているが、それは使用者が正常に機器を扱う意思を持ちながらも注意や知識が不足する場合を前提としている。当初より使用者に悪意がある場合などは全く意図していない。性善説に基づいている。
もし原発の運転や保守を行う技術者や作業員が、社会を道連れに自殺でも図ろうなどと考えたら、過酷事故を一人で起こすことも全く不可能な話ではない。ビールスを作るハッカーや、サリンを作ったオウム真理教の技術者を思い浮べると、専門の知識と技能を持った人間ならば、原発のような巨大で頑強なシステムであっても、ただ一人で破壊出来るのではなかろうか。
原発を再稼働する場合には、福島原発事故の主因であった地震、津波、電源喪失に対する最大限の対策が必要であるが、過酷事故の要因はそれだけに限らない。スリーマイル事故もチェルノブイリ事故も福島とは別の原因だった。もし次に起こる場合はまた新たな原因であろう。それは一人の人間の異常心理かも知れない。
畑村政府事故調報告は冒頭所感で、「あり得ることは起こる」と述べる。原発の過酷事故を確実に防ぐ策は、「原発即ゼロ」しか思い当らない。