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「800字文学館」

挨拶について考える

都甲 昌利

「お早う」は朝、「今日は」はは昼間、「今晩は」は夜間に「左様なら」は別れる時に使用する挨拶の言葉である。この中で「ございます」という言葉が付けられるのは「お早う」のみである。何故なのだろう。
 タテ社会の日本では多くの場合、挨拶そのものが身分の差を示す。歌舞伎、日舞、茶道など日本の伝統芸能の世界では上下の序列が厳しい。師匠や先輩に対しては丁寧な言葉を使用し尊敬の念を示さねばならない。これらの世界では挨拶に差がつく「お早う」を使用するのだ。昼でも夜でも師匠や先輩に対しては「お早うございます」と挨拶をする。この慣習は芸能界のタレントの中にも広がりを見せている。
 一般の社会人の場合はどうだろう。昼間には「お早う」は使えない。それではどのように上下の差を表すのか。それは頭の下げ方だ。会社では部下は上司より深く頭を下げる。これを怠ったら大変だ。政治家は選挙の時だけ選挙民に深く頭を下げるが、当選すると逆になる。
 挨拶は社会生活を円滑にするためにあり、上手な挨拶は人間関係に潤いを与える。

 もう少し掘り下げて人はなぜ挨拶をするのか。原点は人間が持つ防衛本能ではないかと考える。人がまだ動物に近かった頃、見知らぬ他人に遭遇したとき、危険から身を守るには敵味方を一瞬のうちに判断しなければならない。その時、敵意を持っていませんよという信号が挨拶の始まりといえるのではないか。挨拶をしなければ殺されるかもしれない。犬や猫の間でもお互いに鼻をつけて嗅ぎ周り挨拶をしている現象が見られる。
 友人や知人には挨拶をするが、見知らぬ人に挨拶をしないような傾向が見られる。バスやエレベーターの中、近所の住民に目が合えば挨拶をするのがマナーであろう。言葉でなくとも微笑みぐらいならできる。
 最近、挨拶で便利な言葉がある。「どうも」である。上下に関係なく、いつでもどこでも使える。これからは挨拶の主流になると思う。

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