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「800字文学館」

小野田寛郎さんのお別れ会

都甲 昌利

 今年1月に亡くなった小野田さんのお別れ会が、先月靖国神社の啓照館で行われた。小野田さんをヒョンナことから存じ上げていた因縁で参加した。お別れ会というと非常に派手なものが多いが、質素な会であった。カーネーションで飾られた遺影の前に献花をして合掌するという簡潔なものだ。参列者は約千人。長蛇の列だった。国会議員や田母神氏らの顔が見えた。
 町枝夫人の話によると彼は90歳を超えてからも、至極元気で全く死を予見していなかったとのことなので、91歳の突然の死は驚天動地だったそうだ。お別れ会に靖國神社を選んだのは、戦地へ赴くとき、将兵たちと「靖国で会おう」というのを常に口にしていたので、ご遺族はその言葉に従い靖国で行った。小野田さんも多くの戦友たちに再会し本望ではないかと思う。
 また、平成26年3月12日は小野田さんがルパング島から帰国して丁度40年目に当たりこの日を選んだという。なんともご遺族の気配りが感じられた。

 人生の半分を軍人として死を覚悟して国家に尽くし、後の半分をルパング島の経験を活かして、「小野田自然塾」を造って、青少年教育に全力を注ぐという社会貢献をされた。この自然塾にお世話になった児童は2万人を超えるということだ。

 小野田さんは「生きる根本は自分にある。生きるためには自分で考え、行動する力がなければならない」、「大人は子供たちに体当たりで向かわなければ、日本の将来が危ぶまれる」と常に語っていたそうだ。素晴らしい教師だった。この崇高な精神が次の世代に受け継がれ、永遠に生き続けることを願わずにはいられない。

 戦前、私たちは「天皇のために命を捧げよ」と教育され、死を覚悟して生きてきた。戦後は「命を大切に」という時代になった。何かを死を覚悟して成し遂げることを否定してしまった。だが、死を意識しないことで、日本人は「生きる」ことをおろそかにしてはないだろうか。お別れ会の後そんなことを考えた。

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