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「800字文学館」

死に方について考える

都甲 昌利

 人間の死には主に四つある。病死、事故死、自殺、他殺である。この中で病死が圧倒的に多い。ガン、心筋梗塞、など原因はさまざまだ。病院であろうと自宅であろうと問わない。

 事故死は文明が発達すると増加する。自動車、航空機、船舶の事故で、自動車事故が圧倒的に多い。日本では年間約6千人が犠牲になる。死に場所は自宅以外が多い。地震や津波による自然災害による死は事故死と言えなくもない。いつ事故に遭うか分からないからである。運命というより仕方がないが、事故防止対策がなされていれば防げるものもある。

 自殺は自殺者だけにしかわからない心理である。家庭不和、いじめ、借金、失恋、厭世、など原因が考えられるが、イジメにあっても、借金しても、失恋しても立ち直り、したたかに生きている人もいる。子供のいじめで、教師や学校を責めるが、ひ弱な精神の子に育てた親に責任はないのか。いずれにせよ、自殺には個人差がある。人間魚雷や特攻或いは自爆テロは自殺の範疇には入らない。自分は死ぬが相手を殺そうとする意志があるからだ。

 最後に他殺であるが、これは厄介だ。自分は殺されたくなくても必ず殺す人がいる。人間が持っている憎悪、嫉妬などが原因だから始末に負えない。
 思えば人類の歴史は他殺の歴史である。部族同士の抗争から国家間の争い。国家間の争いを戦争と呼ぶ。兵士ばかりでなく民間人が戦争によって多く殺された。チャップリンの映画『殺人狂時代』の中で「一人殺せば殺人者で、百万人殺せば英雄だ」と皮肉っている。
 しかし、他殺は何も戦争によってのみ起きるものではない。殺人事件は毎日のように起きている。誰かがどこかで殺されている。

 私はどんな死に方になるか分からない。病死の可能性が高い。が、最近は世の中、安全性が欠如しているので事故死かも知れない。自殺は今のところ理由が見つからない。他殺は嫌だ。しかし、どんなに恐れても死は必ずやってくる。死に方どれでもいいか。

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