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「800字文学館」

金沢柵―後三年役の古戦場

大月 和彦

 JR奥羽本線横手駅の一つ北に「後三年」という名の駅がある。3㎞東方にある後三年役の古戦場金沢柵跡に因んでつけられた。
 横手駅からバスで田園地帯を北上すると羽州街道に面して、三重の塔を模した後三年役金沢資料館が建っている。

 11世紀後半、源氏が東北武士の間に地盤を築く転換点となった合戦「後三年役」の資料が展示されている。
 圧巻は合戦の様子を描いた「後三年合戦絵詞」だ。東京国立博物館に所蔵されている実物を地元の画家が複写したもの。「雁行の乱れ」や鎧かぶとで馬に乗った武将の戦闘の場面が色彩豊かに描かれている。目を凝らして見ると首級を刺した槍を掲げる武士、血で赤く染まった地面など凄惨な場面が見えてくる。

 後三年役の経緯は、複雑で分かりにくい。
 当時朝廷は源氏を蝦夷征討のため東北に派遣した。苦戦したが、出羽の俘囚清原氏の助けを得て勝利した。その後清原氏に内紛が生じ、一族の長子家衡と異母弟の清衡の争いになり、源義家が介入し大規模な合戦に発展した。結局、義家と清衡の連合軍が家衡のこもった金沢柵を攻略する。

 周囲4㎞の丘陵にある金沢柵跡は史跡公園になっている。
 つづら折りの道を登ると、鬱蒼とした樹木が茂る深い山の中に、兵糧倉跡、塹壕、土塁跡がある。数次の発掘調査の結果、本丸と西丸の跡、掘立柱の建物跡、北の丸跡などの遺構が出てきた。

 頂上付近に六角形の奇妙な形の碑があった。納豆発祥の地という。戦いの最中に義家が農民に豆を俵に詰めて供出させた。数日後豆が糸を引いているのを食べたところ意外にうまかった。これを知った農民が後世に伝えたという。

 二の丸跡に、義家が戦勝の記念に清衡に命じて建立させ、その後秋田藩主の保護を受けた金沢八幡宮がある。

 ある秋の昼さがり、社殿に高齢の男女が集まり始める。一升瓶や弁当を持つ人、タクシーで乗りつける人など。麓にある金沢中学の卒業生の古稀祝だという。「兵どもが夢の跡」は地元集落の鎮守の社になっていた。

(14・5・9)

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