菜の花畑と千曲川
連休の騒々しさが一段落した五月の初旬に、かつての職場の同期十一名が信州中野、野沢温泉に一泊で出かけた。幸い清々しい天気に恵まれた。大人の休日の旅は新幹線の席を向い合せに変えた一画にビールとおつまみが配られ、天下御免の遠足が始まった。
長野で乗り換え、飯山へ一時間、北陸新幹線の新しい駅が来年に合わせて出来上がっていた。平日のお昼時か、市内は閑散としていた。名物のしこしこした歯触りの信州そばを味わった。真田家ゆかりの正受庵や、宴会の仕込みを兼ね、名水に恵まれた地酒「水尾」の酒蔵を見学し、夕方に菜の花公園を訪れた。
小高い丘から四方に黄一色の菜の花畑が広がっていて、その先の信濃平の方に目を向けると、遠くに妙高を眺められる開けた平野があり、菜の花の消える先に千曲川が緩やかに曲がりながら春霞に消えて行く。日本の故郷の風景だ。そして、夕方野沢温泉に到着、山菜豊かな夕食を宴会気分で味わった。
野沢温泉村の入口に高野辰之の銅像が玄関に建つ記念館「おぼろ月夜の館」があった。今しがた訪れた菜の花畑の情景が、「朧月夜」の曲とともに浮かんできた。明治の終わりごろ、彼の少年時代に今と同じような古里の風景を頭に描きながら、小学唱歌を作詞したのだと実感した。他に「故郷」、「春の小川」など懐かしい日本の歌を明治、大正に岡野貞一作詞のコンビで創作していったのだと。明治まで、声を揃えて朗々と歌う習慣のなかった日本に、アイルランド民謡や、讃美歌などに影響されながら、日本人の誰の心にも残る唱歌が生まれて行った。
もう十年も前のことだが、上海を訪れたとき、入国の審査場で流れていたBGMが「蘇州夜曲」であったのを覚えている。おや、日本の曲が流れている。そうだ、税関は昭和の初期に活躍した服部良一作の軽やかなメローディを好んで使っていたのだろう。明治の時代から真剣に西欧音楽に取り組んだ歌謡曲の一端が隣国のお役所にも及んでいると感じた。
(二〇一四・五・二二)