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「800字文学館」

ダーウィンと小保方晴子さん

都甲 昌利

 ダーウィンは1859年、5年に及ぶピーグル号でガラパゴスなどを調査した後、『種の起源』の論文を発表した。
 人間は生物の進化過程では、適者生存、自然選択によってサルと同じ祖先から進化し現在のヒトになったのだと。しかし、彼はこの進化論を発表するのに10年も悩んだと言うことだ。「人間は神によって創造された」というキリスト教と真っ向から反するものだったからである。特に家族は熱心な信者であったため苦悩は深い。ケンブリッジ大学の恩師さえ「社会の常識、道徳を破壊するもの」と発表には反対した。
 世間の強烈な反発に会い、ダーウィンは「この理論が受け入れられるには、種の進化と同じだけの時間がかかりそうだ」と嘆いたそうだ。しかし、イギリスの生物学者トーマス・ハックスレーやドイツの動物学者エルンスト・ヘッケルらの支持を受けて次第に認知されるようになった。

 小保方晴子さんはSTAP細胞の研究論文を10年待たずに発表した。競争の激しい生命科学の分野での功を急いだのか、早く発表すれば政府からの研究予算が増えると所属する理研も後押しした。いずれにせよ、世論はこれまでの細胞生物学の常識を根本的に変える画期的な発見と絶賛した。受精卵に近いSTAP細胞は人のどの臓器にも変化することができ、生命の再生が可能だという。後になって、この論文が捏造と虚偽の上で書かれたものと指摘され論文撤回へと追い込まれている。

 小保方さんは人間の生命をどのように観ていたのか知りたい。生命を預かる学問というものは厳粛でなければならない。人間や自然を超越した神の領域に立ち入るからだ。小保方さんは神を信じていたかどうか。ダーウィンと同じように悩みはなかったのだろうか。再生生命科学に携わる研究者は、厳粛でもっと謙虚で科学する態度が必要だ。今のところ「STAP細胞は存在するか、しないか」は、神は存在するか、しないかとよく似ている。ちなみに、ダーウィンは1882年、73歳で神を否定して亡くなった。

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