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「800字文学館」

仏の前で金婚式を祝いて

池田 隆

 静寂な本堂のなか、内陣の正面に金屏風を立て、赤毛氈の上に置かれた二つの椅子に私と妻が座る。両脇、直角向きに並んだ丸椅子には子や孫たち親族が腰をかける。僧侶が経読みの口調で、私どもが目出度く金婚式を迎えたことを仏に感謝し、法華経を読む。
 木魚の拍子を合図に私より焼香を行っていく。何か葬式か法事を連想するが、焼香は香りが周囲へ拡がる如く、自分の気持ちを伝える行為とのこと。つづいて般若心経と真言を皆で読誦して儀式を終える。

 そもそも金婚式の起源や由来は何だろう。金婚式が単なる饗宴や旅行ではなく、当人たちの経験を子や孫へしっかり伝承する厳粛な儀式にならないか。等と考えていた矢先、N氏のエッセイ「仏前で誓う」で仏前結婚式のことを知り、仏前金婚式を思いついた。
 私自身は中高年になってから、自分の仕事に疑問を感じ、歩き巡礼や仏教経典に解決の糸口を求めたが、格別の信者ではない。妻も家族の平癒や健康を祈願するために毎朝仏壇に向い、月一回寺院に出掛ける程度の信徒である。
 しかし思いきって、妻が通う寺に相談してみた。先方も仏前金婚式を行った事はないが、趣旨に快く賛同され、文冒頭のような次第になった。儀式の後は寺の座敷で「私たち二人から子や孫に伝えたいこと」と題し、私と妻のスピーチに移る。
 そこでは私たち二人の青少年期の経験と出会いや、両親の生立ちの話などを通じて、度重なる好運や偶然の結果として今の皆が存在することを語り、過去との「縁」の大切さを伝えた。とくに今まで家族に詳しく話してこなかった私の被爆時の嫌な体験と妻の満州引揚時の厳しい脱走逃避行については力を込めた。
 最後は寺から料理屋に移り、五十年間の写真を見ながらの賑やかで楽しい饗宴で締め括る。
 新規な試みだったが、寺社での金婚式は厳粛で落着いており、高齢者向きだ。ボケないうちにしっかり遺言を語る場にも適している。これから金婚式を迎える方々、如何ですか。

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