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「800字文学館」

平塚らいてうと漱石の呟き

池田 隆

 夏目坂を下り馬場下町の交差点に出ると、地下鉄出口より学生が雲霞のように現れる。狭い歩道は若い熱気に包まれたが、その群衆の半数近くは女性である。なかに巻込まれた場違いな一老人の目にも、前を闊歩するスラリと伸びた素足がまばゆい。
 民家との境界も定かでない早稲田大学の学舎群へ群れは徐々に吸込まれて行く。大隈重信像の周りでは大勢の女子学生が談笑している。睥睨する重信候も内心では微笑んでいるに違いない。
 この大学の卒業式で各学部の総代が全て女性で占められたと聞いたのも久しい。女子高等教育が進んだものである。お蔭で女性の社会進出が進み、人口減少に拍車を掛けるほどになった。それでも日本は世界に比べ、女性の社会的指導者が少ないとのこと。

 その昔、女性解放運動の先鞭をつけた平塚らいてうは文芸誌『青鞜』を発刊し、その巻頭言で「元始女性は太陽であった」と謳い、つづけて「女性の自由解放とは高等教育を授け、一般職業に就かせ、参政権を与え、家庭から独立させるのが真の目的ではない。それは手段方便に過ぎない。男女を共に必要とする本来の自然を取り戻さねばならない」と述べた。
 漱石は、愛弟子の森田草平と塩原事件をひき起した平塚らいてうをイメージして、小説「三四郎」のヒロイン美禰子を書いたという。その文中で画家の原口に、「結婚は考えもんだよ。離合集散ともに自由にならない。広田先生を見たまえ。野々宮さんを見たまえ。ついでにぼくを見たまえ。女が偉くなると、こういう独身ものが増えてくる。社会の原則は独身ものが出来えない程度内で女が偉くならなくちゃだめだね」と自身の考えを述べさせた。

 草葉の陰から平塚らいてうと漱石が今の世を眺め、彼女は「多くの女性が私を真似た自由奔放な生き方をしているが、手段と目的をはき違えているわ」と嘆き、彼はしたり顔で「心配した通りだ。だから俺は最後に美禰子をどうでも構わない男と結婚させたのさ」と呟いている。

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