里山の嘆き
奥信濃の山間に亡父から引き継いだわずかな山林がある。標高7~900mぐらいの南斜面で、下方3分の1には杉が植わっていて、上部はクヌギなどの雑木林で、いわゆる里山だ。
里山は、かつては薪炭などの燃料や牧草などの採取地として村の生活と深く結びついていた。また杉材の生産地であり、植林、下草刈り、間伐など多くの人たちの働き場所でもあった。
大戦が始まった年に樹齢60年ぐらいだった杉の木を戦争遂行のためにといわれて売却した。教師だった父の名が地元税務署の高額納税者名簿の末尾に載るというハプニングがあった。が、大半は半ば強制的に戦時国債を買わされ、敗戦によって一片の紙切れになってしまった。
伐採した跡地には植林しなくてはならない。苗木を植えてから、人手よる手入れが続く。15年間ぐらいは毎年、周りの草を刈り、雪に押し倒された木を一本ずつ起こす作業が続けられた。ある程度成長してからも間伐や下枝を切り落とす作業などが必要だった。
終戦直後は木材相場が高騰し、杉の木2,3本がサラリーマンの月給1か月分といわれるなど山林成金が生まれたが、全く縁がなかった。
このブームは長続きせず、まもなく外国産の安い木材が輸入されるようになり、木造住宅の需要が減ったこともあって木材市場は、半世紀以上も不況が続いている。
山が好きで、山林の価値を信じきっていた父は、晩年になっても子ども達から資金をカンパしてもらい、山の手入れに余念がなかった。
費用と手間をかけた杉の木がやっと伐採期になったものの、市況は相変わらず低迷していて、売っても伐採の手間賃にもならない。
植林した杉は意外に脆弱だ。台風や雪で大木が簡単に根こそぎ倒れたり、折れたり裂けたりしているのがそのまま放置され、荒れるにまかせている。
最近「里山資本主義」が喧伝されている。オーストリアや岡山県などの山村で里山の森林をエネルギーなどに活用する事例だ。生活スタイルを変える革命とさえいえるほどの考え方だ。注目している。
(14・6・11)
参考『里山資本主義』―日本経済は「安心の原理」で動くー 藻谷浩介・NHK広島
取材班 角川書店 2014・3