それから一〇五年
漱石は小説『それから』を明治四十二年に発表した。主人公の代助は或る実業家の次男であるが、大学を出た後も仕事に就かず、親の脛をかじる三十歳の独身男性、いわゆる高等遊民である。
心を寄せ合っていた三千代を親友の平岡に譲り、二人の結婚を周旋する。だが彼女と久しぶりに再会し不倫に陥り、父親から勘当され、無一文となる。しかし自我を貫き、自然の心に忠実な生き方をしようとする処で結末になる。三角関係の恋愛物語であるが、随所で作者の社会時評が見え隠れする。
日露戦争後の金銭万能で目的喪失気味の時代風潮の下、表層的な西欧文明化を急ぐ日本社会への警告を、主人公のデカダン風な言葉に託して語る。「食うためだけに働くと、誠実な仕事は出来ない。理想や希望が必要」と。
また幕末の志士から役人を経て実業界で成功を収め、「誠者天之道也」を座右の銘とする父を、主人公は言行不一致で時代遅れの愚物と敬遠する。これもまた作者の気持ちの一端だろう。その父のモデルは渋沢栄一と言われる。
それから一〇五年後の今日、過去を振り返ると日本経済は飛躍的に伸びた。しかし国民の精神性の退化は漱石の心配通りである。それでも渋沢が主唱した思想、「論語と算盤」に代表される倫理感が高度成長期の企業戦士の心底には息づいていた。誠実さこそが経済や技術活動の信用基盤であった。
改めて現在の日本社会を見ると、日露戦争後と酷似する。目先の景気を最優先に考える政財界人や企業人の姿勢が目に余る。高い危険性を承知の上で原発の再稼働や輸出を急ぐなど、倫理観や常識のかけらも失った。先々、その不誠実さが日本の経済を凋落させることは間違いない。
人間は必要以上の金を持っていても、もっと金を欲しくなる。金のためには何でも行う。金が魔物と言われる所以である。漱石も渋沢もそのことに早くから気づき、立場や手段こそ異なるが、後世に警告を与えてきた。改めて彼ら先人の言葉に耳を傾けたい。