ディエップで同志に会う
英仏海峡に面した港町、ディエップは、その昔、フランスからカナダへの移民が旅立った町である。ここで1942年8月、ディエップ上陸作戦が行われた。この作戦でカナダ軍を主力とする6000名の英連邦軍は、死傷捕虜3600名という惨憺たる結果に終わり、後世の戦史研究家に「無謀かつ無意味」と酷評されている。
9月のある日、ディエップの町の南にある丘に立つと、ウィバーヴィルの三日月型の海岸は、夕陽に輝いていた。丘を下り、海岸沿いを走る街道に面した小さなホテルレストランに宿をとった。
ロビーの軍装したマネキンを見ていると、オーナーの親父がシェフ姿のまま飛び出してきて「ディエップ上陸作戦を知っているのか」と尋ねてきた。「ウィ、第4コマンドもね」と答えると、おお、同志よ、と言う顔になった。
戦史ファンでもディエップ上陸作戦の英連邦軍は渚に釘付けのまま全滅したと思っており、ウィバーヴィル地区を担当したカナダ軍第4コマンドという、内陸進攻まで果たした部隊があったことはほとんど知られていない。
彼は、このマネキンはパーフェ(完璧)なカナダ軍の服装をしており、持っている小銃もオリジナルである、とマネキンから小銃を外し、「ヴォワラ(ほうら)、Rifle No.4 Mark-1*だ」と私に渡すや、またキッチンに戻って行った。
更に彼は、夕食後、資料をひと抱え部屋に届けてくれた。大事に額に入れたディエップ上陸作戦を伝える当時の新聞や研究書、カナダとディエップの関係の歴史本など見た事もないものばかり。作戦の時間推移入り地図など垂涎物であった。ほとんどがフランス語で、家内の助けで辞書と首っ引きでも残念ながら一晩では見出しや本の題名を眺めるだけで精一杯だった。
翌朝、資料のお礼を言い「残念な事に全体を眺めるだけだった」と言うと、「今度ゆっくり来てくれ、現場にも行こう」と彼も別れが惜しそうである。
何事でも、地元にはマニアックな凄い研究者がいる、というのはいずこも同じようである。