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「800字文学館」

危険に対する英国と日本の差異

都甲 昌利

 ロンドンに3年半ほど暮らした体験から、イギリス人の危険に対する感覚には日本と違う独特のものがあると感じた。

 私は郊外の自宅から毎日車を運転し市の中心にあるオフイスに通ったが、郊外には四つ角に信号がない。ラウンドアバウトという円形の交差点があって、車が出会うと右側優先のルールで衝突が避けられる仕組みだ。
 信号のある横断道路を渡る時も、自らの判断で行う。車の影がなくても赤信号だから、いつまでも青になるまで待つという態度は取らない。信号はあたりの状況を見て判断する補助手段と思っている。危険を避けるのはあくまで自己責任なのである。

 日本の免許証は5年有効だが、イギリスでは取得から満70歳の誕生日までである。それに「眼鏡使用」という条件はない。近眼で目が見えないで事故を起こした場合、自己で責任を取れというのだ。命の危険に関わることなので、メガネをかけないと危険だと思えば、自己の判断でかけるだろうというのが彼らの考え方だ。

 日本独特といえば、私が毎日のように聞いている駅の放送だ。「危ないですから」、「危険ですから」と電車が来るとき白線の内側へ下がれとか離れろという時に必ず聞く。危険は自らが判断するものではないのか。

 イングランド南部のブライトンで保守党の大会が開催された時、サッチャー元首相が宿泊したホテルの会場に北アイルランドの反英テロ組織によって、爆弾が仕掛けられ爆爆発し、多数の死傷者を出した事件があった。この時の警察庁長官のコメントはいかにも英国的である。「大勢の人の出入りする会場では完璧な警備・安全は不可能だ」と。また、担当大臣も「民主主義社会ではそういう危険が伴うのはやむを得ない」と擁護した。日本ではどうだろう。完璧な警備・安全が求められる。不可能と発言したら、直ちに国会で問題となり責任を取らされるだろう。日本人は他人のせいにせず、もう少し自己責任を持ち危機に対処したらと思う。

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