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「800字文学館」

外来語雑感

都甲 昌利

 日本は19世紀後半から近代化のため、西洋から文化、芸術、思想など多くのものを取り入れた。その時、言葉の概念を漢語または日本語に翻訳する必要に迫られた。「Railway」を「鉄道」、「Automobile」は「自動車」、「Universe」は「宇宙」、「Director」を「指導者、管理者、監督」など実に見事な翻訳である。明治の先人達に頭の下がる思いだ。

 スポーツに関して言うと最近はカタカナそのものを使用しているが、嘗てはスポーツを知らないお年寄りにも意味がわかるように、カタカナ外来語に対する翻訳語が必ずあった。「野球」という言葉は正岡子規が作った和製漢語だそうだが、ベースボールを「塁球」では野暮ったい。「野球」とはさすがに子規である。「テニス」は「庭球」、「テーブルテニスは「卓球」、「フットボール」は「蹴球」、「バスケットボール」は「篭球」、「バーレーボール」は「排球」と実に分かり安い。
 ところがゴルフだけは適当な訳語がない。ゴルフとカタカナのままだ。訳しにくかったのか。「芝球」、「棒球」、など考えられるが、「穴球」では品が無い。「接待球」にしたら現代に合う。

 最近はやたらとカタカナ語とローマ字の氾濫である。扉には「In」「Out」「Push」「Pull」である。「入口」「出口」「押す」「引く」と書けないのか。ゴミ箱に「PUSH」と書いてあるのには驚いた。

 どうしてもカタカナを使用しなければならないのは、ITやコンピュターター関係の言葉であろう。WindowsやMacなど「窓」などと訳しはしない。中国では全て中国語に置き換えている。PCは「電脳」、Windowsは「视窗」、インターネットは「上网」 、ウイルスは「病毒」 、カスタマイズは「個性化」、問題となったコーピーペイストは「剪贴」、ゴミ箱は「回収站」といった具合だ。こうすればお年寄りでもすぐ理解できる。

 日本ではもはや外来語は無理に和語に訳す必要が無いように思う。原語のまま意味を理解し、社会生活を送らなければならない時期に来ている。了

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