作品の閲覧

「800字文学館」

帰国への道のり

福本 多佳子

 2008年、ボブと一緒に起業したバイオ関連機器ビジネスをクローズした。私は残務処理を済ませ次第、帰国と決めた。ボブは15年暮らした英国、ケンブリッジへの移住を希望したが叶わず、アカデミックな雰囲気に身を置きたいと大学時代を過ごしたメリーランド州都、アナポリスへ移転と決めた。
 貸し倉庫に入っていた試作機、パーツ、家具等の山を処分後、残務処理の傍ら友人宅に身を寄せ、アパートと事務所の荷物を日本向けとアナポリス用とに選別、発送した。温暖な地中海性気候で豊かな自然に恵まれたシリコンバレーを去るのは至難……と考えていたのだが、未練を感じる余裕は無かった。

 アナポリスには彼がギリシア哲学・数学を学んだ個性的な小大学がある。引退した大学教授夫妻達は、私達2人をまるで家族の帰還を喜ぶように暖かく迎え入れてくれた。老教授が何10年も前に彼が書いた論文や、言ったことまで覚えていたのには驚いた。そんな古き良き大学は私にも故郷のようにほっとさせるものがあった。毎金曜の大学でのコンサートやセミナーでは私以外は白人のみという世界だったが、人種のるつぼのカリフォルニアよりもイギリス植民地時代そのままといった古い街並みのアナポリスが心落ち着く場所だった。短期間に心に残る新しい友人とも知り合い、帰国記念に一粒の真珠をもらったような気がした。

 2年後、彼は癒されたから今度はやりたいことが出来るロスに移ると言い出した。私は再度の引っ越しを手伝う為に渡米し、友人との別れを惜しんだ後、トレーラーを牽引してテネシーやニューメキシコに住む彼の親戚、友人宅に宿泊しながらの大陸横断を実行した。度重なる移転、ビジネス関連の諸問題が片付いて、やっと彼も「貴女を自由にしてあげる」と離婚を承諾した。夫というより、アメリカでの家族、友人であった彼とはスタート同様、良き友人として別れることが出来た。

 帰国して(これで、根無し草生活ともおさらばだ)と思い、ほっとした。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧