作品の閲覧

「800字文学館」

象潟あたり

内藤 真理子

 梅雨の終りに鳥海山を越えて象潟まで行った。霧の鳥海山は、ドライブをする物好きもなく、遠くの景色は見えなくても、高山植物が、生き生きと可憐に咲いているのを、誰に気兼ねもなく堪能できた。
 象潟近くになると道路標識に『鳥海山の伏流水、大滝』の文字が見えてきた。方向指示を頼りに山道に入っていき、少し広い所に車を止めて歩き始めた時には本格的な降りになっていた。
 ガイドブックによると、鳥海山に浸み込んだ雨や雪解け水が三十年の時を経て伏流水として地表に湧き出ているとある。
 傘をさして足元を気にしながら川の近くまで下りて行くと、対岸の崖の途中から、横長に白糸のように何条もの線になった水が川に流れ落ちていた。滝は、目の前の十メートルくらいの幅のものだけではなく、曲がりくねった川の、対岸の崖のそこここに、霧に霞みながらまとまった白糸の滝になって流れ落ちていた。これは、雨の恩恵かもしれない。
 象潟に泊まり、翌朝は晴れていた。宿の屋上から九十九島が見渡せると言うので登ってみた。
 若草色に伸びた稲が視界いっぱいに広がる。これを海に見立てて、所々に点在する小高い丘の上の、斜めに傾いだ高く伸びる松がある景色を、松島になぞらえたのだろうか。いや、昔は大小の島が浮かぶ、文字通りの潟で、松島と並ぶ景勝地だったそうだ。
 宿の夕食の箸袋に、芭蕉の『象潟や 雨に西施がねぶの花』という句が書かれていた。
 宿を出て、ゆっくりと車を走らせると、田んぼばかりが広がっている所々に、昨日の雨に洗われたねむの木が点在している。シダのような形の若緑の葉と、ピンク色の粒々が集まって大輪になったようなはかなげな花が、ねむの大木を形作っている。中国の四大美女の一人の西施は、病弱で眉間に皺を寄せた顔すら美しかったので、それを醜女(しこめ)が真似をして軽蔑されたという話があるが、ゆったりとした淡い美しさを湛えた大木は、成程、活発、俊敏とはかけ離れた趣(おもむ)きがあった。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧