作品の閲覧

「800字文学館」

「位置エネルギー」

野瀬 隆平

およそ二時間半のフィヨルド観光を終えて、船は終着地のフロムに着いた。
「フロム」とは、古代ノルウェー語で「険しい山間の小さな平地」を意味するという。町はずれの丘に登って眺めた風景は、正にその言葉の通りだった。
古い木造の客車を改装したレストランで昼食をとったあと、いよいよお目当てのフロム登山鉄道に乗って、標高866mのミュルダルを目指す。
1940年に完成した全長20kmのこの登山鉄道は、当初は蒸気機関車で運行されていたが、1944年に電化された。

 いかにも重そうな客車を電気機関車がけん引して登る。確か、7-8両は連結されていたと思う。出発してほどなく、小さな村を通過する。右手にかわいい尖塔をもつ教会が見える。
 列車は渓谷に沿ってずんずんと高度を上げ、線路の勾配も急になる。線路際の勾配標識を見ると、55となっている。55パーミルだ。1000m進んで、55m高度を上げるという勾配である。通常の軌道で、機関車が客車をけん引して走る鉄道としては、最も急な勾配だとのこと。
 ちなみに、同じく通常の軌道を走る日本の箱根登山鉄道は、最大傾斜は80パーミルで、これよりも急であるが、それぞれの車両が動力を持つ3両編成の電車とは比較できない。

 トンネルを抜けたところで、突然滝が目に飛び込んできた。この沿線最大の見どころ、ショースの滝である。駅ではないのに、列車が停まる。乗客にじっくりと眺めてもらうためだ。停車と同時に、乗客は急いで、木で出来た展望デッキに降り立つ。レイヌンガ湖から一気に93mも豪快に流れ落ちる水量豊富な滝である。
 水しぶきが飛んでくる。いやでも膨大なエネルギーの存在を直接体に感じる。案の定、この落差を利用した水力発電所が近くに造られており、その電力が鉄道に供給されているという。

 ここで生み出された莫大なエネルギーが、電力を介して重たい登山電車を866mの高みにまで持ち上げているのである。昔、物理で習った「位置エネルギー」という言葉を思い出していた。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧