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「800字文学館」

ハンナ・アレントと志水速雄

都甲 昌利

 ハンナ・アレントはアメリカの政治哲学者である。ドイツの裕福な家にユダヤ系ドイツ人として生まれ、父は技師で社会主義者、マールブルク大学でハイデッカーと出会い薫陶を受ける。その後、ハイデルベルク大学でヤスパースに指導を受ける。1933年ヒットラーが政権に就くと、フランス経由でアメリカに亡命した。彼女を一躍有名にしたのは、元ナチの戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、その裁判記録を雑誌『ザ・ニューヨーカー』に掲載した。この記録は「悪の凡庸」という題で映画化され我が国でも上映されて反響を呼んだ。平凡な人間が悪を犯す怖さを描いた。
 アイヒマンは異常者でもなければ、「野獣」でもなく、平凡などこにでもいる「普通の人」である。強制収容所の悪の原因を、人間の「思考不能」に求めた。

 志水速雄は私の大学時代の同級生である。高校時代にトルストイなど19世紀のロシア文学に親しみ、東外大のロシア語科に入ってきた。「俺は第二の二葉亭四迷になる」と息巻いていたが、文学的才能がないことを悟り学生運動に没頭するようになった。授業にも余り出席せず、全学連の国際部長としてブダペストの平和会議などに参加し、華々しい活躍をしていた。そんなことで大学を7年がかりで卒業した。卒業後は予備校などの講師をして、糊口の資を得て、やがて母校の教授になり、『現代ソ連国家論』(中央公論社 1971年)『対ソ国家戦略論』(PHP研究所, 1984年)など多数の書物を著作し、日本の政治学者の一人となった。惜しむらくは50歳でこの世を去ったことだ。
 その彼がなんとハンナ・アレントの書物『人間の条件』、『革命について』を翻訳していたのである。翻訳のみならず、ニューヨークに住む彼女に面会して彼女の業績を日本に紹介した。志水は早世したため彼の名を知る人は少ないが、私にとっては数少ない友人のひとりだった。

 彼が生きていれば79歳・日本をリードする偉大な政治学者になったであろう。

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