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「800字文学館」

仏教と私 ~門前の小僧~

斉藤 征雄

 私の生まれ育ったところは浄土真宗の盛んな土地柄だった。村には集落ごとにお寺があったが、お東(東本願寺系)とお西(西本願寺系)の違いはあっても知る限りほとんどが浄土真宗だったと思う。私の家は浄明寺というお寺の檀家だった。

 十五世紀応仁の乱の頃、浄土真宗の第八世法主だった蓮如は越前の吉崎道場を拠点にして、御文という平易な文章で人びとを引き付け念仏による現世利益を説いて布教した。そして農民を講という名の下に組織していわゆる門徒勢力を飛躍的に拡大することに成功した。後にそれが加賀の一向一揆につながっていったことは歴史が物語るところである。

 私の子供の頃つまり今から六十年ほど前であるが、私が生まれ育ったその土地には蓮如が組織した講が、五百年の歳月を経てもなお生き続けていた。「おこうさま」と呼ばれたその行事は、月一回善男善女が集落のお寺に集まって、当番に当たった家が作った一汁一菜の精進料理を食べ、住職の説教を聴いたり、かれら自身で正信偈(しょうしんげ)や蓮如の御文を読誦して法悦に浸るものだった。そして「おこうさま」は、集まる村人とりわけその中心である老人たちにとってはまたとない社交の場であり楽しみの場でもあったのである。

 お寺は子供たちにとっても格好の遊び場だった。庭はそれほど広くはなかったが三角ベースなら十分できたし、雪の積もる冬は御堂と厨をつなぐ渡り廊下が卓球場と化した。そうした合間に子供好きの住職は日曜学校と称して私たちにお経を教えた。そのおかげで私は今でも正信偈の冒頭の数行はそらんじているほどである。 村での生活にはあたりまえのように仏教が深く浸みこんでいた。

 そうした中で育った私なのでさぞかし敬虔な門徒に成長したに違いないと思われそうだが、あに図らんや大人になって今日までの私の人生は仏教とはまったく無縁のものだった。子供の頃の私は文字どおり単なる門前の小僧にすぎなかったのである。

【注】正信偈:親鸞の「教行信証」の中に収められている念仏偈。偈は詩文の意味。

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