姨捨山の月
姨捨山と田毎の月は、古くから歌枕の地として知られ、文人墨客が訪れ、多くの作品を残している。
大和物語に、嫁に老母を捨てるよう責められた男が、母を山に置いて帰る。が、月が明るく山を照らすのを見ながら一晩中良心に苦しめられる。
翌朝、母を連れ返し、
わが心 慰めかねつ 更級や 姨捨山に 照る月を見て
と詠んだ棄老伝説に由来する。
中秋の名月から3日がかり経ってから姨捨へ行った。信州のやや北部の姨捨山(冠着山)の中腹にあるJR篠ノ井線姨捨駅(551m)で降りる。駅のホームには眼下の景色を眺められるよう展望台が設けられていた。
見下ろすとは善光寺平の市街地が白く光り、その中を千曲川が縫うように走っている。遠方には志賀高原や菅平の山並みがかすみ、前方には鏡台山、有明山などが見える。
眼の前に広がる棚田には、黄金色に稔った稲穂が波打っていた。豊作のようだ。柵田を保存するため、水田を一枚ずつ市民に貸し付け、田植えや稲刈りなど主な作業に参加してもらい、収穫したお米を渡すという棚田オーナー制が行われているという。
駅のすぐ下方に、月見の名所として知られる長楽寺がある。境内の本堂や月見殿のほか茶室風の月見堂がある。
芭蕉が貞享年1688)に読んだ
おもかげや 姨ひとりなく 月の友
の芭蕉翁面影塚が建っていた。
付近一帯に有名無名の俳人の句碑が林立している。西行、一茶、高浜虚子など。
江戸時代の旅行家菅江真澄は、「あこがれの更級の里 たとへ嵐が来ても風雨を通して姨捨の月を見ようと決意し、前夜麓で泊まり、日が暮れたころ大勢の人たちと棚田の中の細い道を登り始める。長楽寺の姨岩の上で月の出を待った・・・。盃を傾ける人もいる。向かいの鏡台山の頂上に月が顔を出し、あたりが昼間のように明るく照らし出される」と記している。
風流人に倣って、長楽寺境内の隅で、地酒「オバステ正宗」のワンカップを飲みながら月を待ったが、冷えて来たので待ち切れず退散した。
(14・10・9)