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「800字文学館」

イギリス青年の正座

木村 敏美

 今から17年程前、イギリスのカーディフ大学と北九州大学が、15人位の大学生を3カ月間交換留学させていた。互いの文化や経済を学ばせ、1カ月間は企業に預け、仕事を勉強するという企画であった。夫の勤務先にも、イギリス人学生を1人企業研修で受け入れることになり、夫が世話をする事になった。
 仕事そのものは各部門の専門に任せるが、日本企業の在り方や産業経済等マンツーマンで説明したとの事だった。夫は、日本を理解してもらうには普通の家庭も見せたいと思い、我が家に来てもらうことになった。私もマレーシアへの転勤でアジア人と接した事はあったが、イギリス人は初めてである。

 多少緊張して迎えたその日、玄関で夫の横に立ったブルースと言う名前の青年は、穏やかな微笑みを浮かべ「コンニチワ」と挨拶した。金髪で小柄な好青年である。そして家族構成を聞いていたのか、祖母に挨拶したいと言う。和室の祖母の部屋に通すと、きちんと正座して、片言の日本語でにこやかに挨拶した。85才の祖母も膝を突き合わせ、思わず笑顔になり「まあまあ」と嬉しそうに言っていた。居間に移り、彼が手土産まで持ってきた事に驚きながら、テーブルで普段の昼食を出した。カボチャのスープが口に合ったのか、グーと言って親指を出し、台所に立つ私ににっこり微笑んだ。和やかな時間が過ぎ、日本人のガールフレンドと図書館で待ち合わせしていると言って帰って行った。控えめで礼儀正しい印象を残して。言葉は充分ではなかったが、日本に馴染もうとする真摯な姿勢や誠実さは伝わってきた。風の便りでは今、日本企業で働いているとの事、あの時のガールフレンドと温かい家庭を築いたのだろうか。

 先日のスコットランド独立か否かの選挙のニュースや、NHKの朝ドラ「マッサン」等でイギリスの事情も少しは身近に感じるようになった。89才で他界した祖母の部屋に入ると、きちんと正座して挨拶しているイギリス青年の姿がふと甦る。

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